日記・コラム・つぶやき

2024年3月20日 (水)

私の天体写真バカ狭い史 - CP+の道中から - その2 【完】のつもり

記事を切り替え、2000年以降のデジタル中心時代の2回目です。
これで10年台を加えたので、いったん完成のつもりです。

ひきつづき、

昔はよかった、と懐かしむものではなく、
 いまがいかに良い時代か
 みなさんよい時代に天文に入られたか
を伝えたい一心で書きます。

※勝手な時代解釈による歴史ですので、遊び心でみていただきたき、楽しんでください。
 正確性も求めていませんし、保証できません(笑) 違っていても「違うな」と
 ほくそえんで楽しんでいただきたく。

※私が物心ついて天文を知っているのは86年のハレー彗星以降です。60,70,80年代前半は、
 過去に聞いた伝聞や今回少々調べたことから想像で書きます。薄くなりますがご容赦を。
 90年代からは記憶と経験中心でそこそこ書けているはずです。

※ただし、00年代以降も、時期については記憶と独断の定義なのでざっくりで最大5~年
 くらいの誤差があるかもしれません。

※機材などについては、民生用というか庶民が手に入ったもの、の視野で書きます。

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2000年代  アナログ・銀塩の終焉・デジタル混沌の時代 - デジタルデバイドでの選別 -


デジタルの技術革新著しく、機材投資疲れの時代・しかし今の礎がほぼ完成


90年代に登場したデジタルカメラはコンパクトカメラから置き換わり、00年代半ばにかけ、
コンパクトカメラだけでなく、一眼レフも低価格化した。そのため一般写真界でデジタルカメラへの
移行が加速した。

天体写真界では00年頃にかけSBIGをはじめ、国内メーカーでも冷却CCDが充実しはじめた。しかし
まだCCD撮像も画像処理もハード・ソフトともに障壁が高い状態であった。そのため、研究職など
理論から技術を理解できる方や、IT職に近い方のフィルムから冷却CCDの移行が先行した。まだ
デジカメのノイズが大きく冷却CCDに特に画質でアドバンテージがあった。2010年代半ばにかけ、
デジカメと二分しての冷却CCDによる天体写真の最盛期を迎えることとなる。
国内では90年代後半でアストロアーツからステライメージがリリースされており、冷却CCD画像
処理から、画像処理のスタンダードソフトとなっていた。

2000年代はPCが低価格化して殆どの過程に普及した、ネット環境もアナログモデムからADSLへ移行し
高速化した。ネット掲示板や個人ホームページのブームも起こり個人間での情報共有が簡単にできる
ようになった。00年代中盤にはブログや国内ではmixiなどからSNSサービスもはじまった。

さまざなまホームページが充実し情報も得やすくなった。またネットショップも拡大した。
天文ショッブは、ネットショップサイトが運営できるショップとできないショップで、勢力の
入れ替わりが起り始めていた。

冷却CCDではほぼモノクロが主流となったため、カラーフィルムからの移行の躊躇が大きかった
理由の1つと推測する。そのため、フィルム時代からの天体写真ファンの多くはまだ00年頃は
中版フィルムカメラでの撮影がメインであった。しかし、一般写真界でのデジタルカメラ移行が進み、
カメラメーカーのフィルム機の生産中止、フィルムの製造中止の発表が相次ぐようになってきた。

そのためフィルム天体写真ファンもフィルムからの移行障壁の低い(カラーである)デジタルカメラへの
移行が進むようになってきた。ただし、ステライメージをはじめ、天文用画像処理ソフトの
デジタルカメラ対応が冷却CCDより遅かったために、デジカメでの天体画像処理は混迷を極めた。
フラット・ダーク処理専用ソフトや、Raw現像ソフト、レタッチソフトとの組み合わせなど様々な
流儀が発生した。


そのため、そもそも冷却CCDであっても、デジカメであってもPCが苦手、デジタルが苦手、あまり
好きではないという方々はフィルムから冷却CCDやデジタルカメラへ移行せずに天体写真から
フェードアウトする方々も多かった。

私はこれを「デジタルデバイドによる選別」と呼ぶことにする。いま60~80代でフィルム時代から
天体写真を行っていてデジタル移行せずに天体写真を止めてしまった方は多かった。


また、デジタルカメラでは素子や処理エンジンの更新は著しく1,2年で陳腐化する状態。世代が変ると
著しくノイズ特性が向上していったため、デジカメの買い替えで疲弊しがちであった。さらには
デジタル化による解像度UPで、フィルム時代のカメラレンズや望遠鏡の多くが性能不足となり、
買い替えが必要となり、カメラ以外の投資も嵩む時代となった。

架台はほぼ自動導入が標準となってきていた。また00年代後半にはPCソフト制御による低価格の
オートガイダーが登場するようになった。

ただしまだスマホの普及前であったし、天体写真界では天文専用PCソフトか、ハードでの自動導入
こそあれど、プレートソルビングなどは普及していなかった。そのため、フィルム時代に比べ、
数分から数十分露光のスタックとなり撮影成功率が上がったが、まだ露出時間の最長トレンドは
デジカメでトータル2時間程度、冷却CCDでも数時間であった。


そして、経済面では、まだ現在のように望遠鏡と赤道儀が、台湾や中国製が跋扈して低価格化して
いない時代であった。若手は就職氷河期世代であった。そのため、いま40代程度の当時の若者が学生、
社会人で天体写真をはじめるにはコストが見合わなかった。

また、上記の通りデジタル移行できなかった当時40~60代、現60~80代の方が天体写真から引退したため、
天体写真撮影者が一旦少なくなった時代であった。

90年代やまた近年賑やかなスポットへ新月期に行っても人は殆どいなかった。
天文界の天体写真ファンは減り増えもしなかったし、まだデジカメの性能が低かったから
「一般写真(デジタルカメラ)界からの星景写真」ブームもまだ始まってはいなかった。


だだし振り返れば、今とレベルの差こそあれ、
冷却CCDカメラ、低価格なデジタルカメラ、自動導入の普及、PCソフトによる低価格のオートガイダー、
天文専用画像処理ソフトの普及、PCの低価格化、高速インターネット環境、
SNS、Youtubeサービス開始、携帯のネット接続と山間部での電波環境改善、リチウムイオン電池の普及
など現在につながる技術の殆どがこの時代に生まれている。

 


2010年代  デジタル安定期・情報の拡散   - 若手や新規者の参入、カムバック組登場-

冷却CMOSカメラ普及・海外製品拡大で低価格化/選択肢増・スマホ登場/SNS情報共有速度加速

いよいよ現在の10歳台でもなければ、「最近」と言ってもいい時代に入る。
この時代の天文雑誌なら物置でなくまだ本棚に並んでいる。

そこでフォトコンを語るつもりはないとはいえ、久しぶりに雑誌の天体写真コーナーにて振り返ってみる。すると
まだ10年代前半のカメラは冷却CCDではSBIGやFLIが殆どである。デジカメであればニコンの千番台、キヤノンは
十番台後半ときどき5Dといったところである。いまになって振り返ると、そもそも掲載作品数も少ない。

さて、フォトコンから離れて振り返る。10年代中盤になってくると、キヤノンでは6Dが席巻しはじめニコンでは
ついにD810からあの天文モデルD810Aが登場し、デジカメによる天体写真は画質も向上してきた。
私の友人、故酒力氏も2002年頃で天文を休止していた。すこし一般写真でデジカメはやっていたようだが、
D810A登場で天体写真に復活してきた。これは特殊例ではなかったであろう。とくにD810Aと(改造)6Dの
天体写真適性は、カムバック組の増加に大きく貢献したのではないかと考える。デジカメは00年代の急成長期から
10年台の中盤はすでにもう今と変わらない天文適性性能に達していた。その後さらに伸びたのは、動画適性くらい
と言っても過言ではなかろう。

冷却CCDは既に10年代入り口で既に性能的な到達点であったといえよう。しかも、それよりも前にデジカメや
携帯、スマホ搭載カメラがCMOSにスイッチしていたことにより価格低下は起きなかった。そのためコスト面と
移行のしやすさから10年代の前半はフィルム天体写真からの復活組の入り口はデジカメが多かったのかもしれない。
「CCDでいきなり天体写真参入」の障壁は10年代前半の画像処理環境では、技術的にもそうであるし、価格的にも
高かったといえよう。

架台では既に00年代から兆しはあったものの台湾・中国製の赤道儀が、安価で、高速自動導入も当然標準搭載で
開発され、大量に日本市場に入ってきた。しかも当初は安かろうとみられていたが、10年代に入ると性能も
国産にせまってきたうえ、そもそも機械性能が同等でなくてもセンサーとソフトウェア補正を効かせ、統合性能は
むしろ国産と同等で安い、という状況になった。またマーケも優れて日本製にはない機能が搭載された。

残念ながら、スマホ連携や、電子極望、ASI-Airのような無線化とスマホ・タブレットの組み合わせによる
手軽な制御は日本製ではなく中華製が先行してしまった、というより独壇場となってしまった。


極軸合わせ(電子極望)、自動導入、導入補正としてのプレートソルビングなどの技術が手軽に利用できるようになり、
これらの技術が入門者の壁取り払わられ、若手や新規参入者が天体写真入門がしやすい環境が整った。
フィルム時代のように数十分の1発勝負のガイドも必要なく、数分単位でスタックすればよい。環境によっては
しかもそれを自動でやってくれる。

そして、架台のみでなく、鏡筒も台湾・中国製の良質で安価な望遠鏡の参入が相次いだ。鏡筒の価格破壊も進み、
タカハシかビクセンかBORGか、くらいしかなくなっていた00年代後半から一気に選択肢が広まり、かつ手が届きやすい
価格で登場した。

撮影デバイスに戻ると、大量生産民生品の波が天文カメラにもやってきた。CMOSセンサーで天文用冷却CMOSカメラを
開発するメーカーが現れた。そもそもこれにより低ノイズのデジカメの登場にも貢献しているわけだが、そのデジカメで
量が稼がれているCMOSが、天文用冷却カメラに搭載が進んだ。これでもまた中国メーカーが台頭し低価格で入手
できるようになった。

残念ながら国内メーカーではこれらの市場で出遅れてしまった感は否めない。
20年台はもう半分を過ぎようとしているか、これからの巻き返しに期待したい。

既に上述で登場しているが、スマホやタブレットの寄与も大きい時代であったと考えられる。10年台はますます
安価に、広くこれらが普及した時代である。さらには、情報共有媒体の進化がこの年代の特筆事項であると考える。

SNSは日本では特に震災後一般にも広まっていった。Youtubeをみれば「○○のやりかた」のような情報も得やすく
なっていた。天体写真の画像処理の習得でもそれは例外ではなく、これまでのブログに加え、SNSによる情報交換や、
Youtubeでの情報提供によりこれまでの時代よりも加速度的スピードでノウハウが拡散・共有が進んだ。そもそも
ソフトウエアや機材の進化も早い時代になったから前時代のような媒体ではそもそもスピードは追いつかない。
紙媒体が主である天文雑誌からの第2の軸として、天文版Webメディアの「天リフ」の登場も、天文界の情報媒体の
変化の象徴である。


天文以外の領域では、スマホの高性能化と合わせ、SNS、インスタブームなどにより写真共有が一般化した。
デジカメも高性能化しているため、インスタ投稿の写真ファンが手軽に天の川も写せるようになったことで、
「元からの天体写真ファンが撮る星景写真」の向きではなく「一般写真ファンが撮る星景写真」が増えた。
一般写真ファンの星景写真からの天体写真参入(入門)も起こるようになった。


スマホの手軽加工であれ、デジカメのRAW現像であれ、一般人であっても「画像は処理(加工)するもの」の時代に
なったこと、PixInsgihtのような画像処理ソフトの発達、情報共有環境の充実が組み合わさり、
デジカメであれ冷却CMOSであれ、画像処理障壁が大きく下がったことも、この10年台後半の天体写真ファンの増大に
寄与したと考える。

この10年台はさまざまな環境因子が重なってデジタル環境が整った、奇跡の時期であった。

 

2020年代  コロナ禍によるリモート環境の充実・天体写真界と一般写真界の交錯・交雑加速
(もう、書くまでもないかもしれない・・・・)

 

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2024年3月 2日 (土)

私の天体写真バカ狭い史 - CP+の道中から - その1

 前の記事のように、先日CP+に久しぶりに行きました。

今回はさまざまな人と交流しました。そして意気投合し、夕方に会場から食事に向かう
道中で、ほしぞLoveログのSamさんと、あぷらなーとさんと会話をしていました。
そのとき、いまのこの天体写真環境の有難さ、について会話が至りました。

またあぷらなーとさんも、私も2000年頃は天体写真疲れをしていて、なぜだろう、と
意見交換しましsた。

その瞬間、その理由と現在の技術につながる年表が頭の中にぼんやりとでもビビッと
浮かびました。

それを本当に年表にしてみようと思いました。ここでまとまりましたので
年表を公開すると共に、持論を展開しようと思います。今回はその1回目です。

昔はよかった、と懐かしむものではなく、
 いまがいかに良い時代か
 みなさんよい時代に天文に入られたか
を伝えたい一心で書きます。

この1回目はまだ記事が90年にも至っていませんが、年表の青文字を見ると、いかに
いまの技術はまだ20年程度のホヤホヤで、いろんな分野が結びついて加速度的にこの
10年は天体写真趣味環境が急発達したことがご理解いただけるのではないでしょうか。


※勝手な時代解釈による歴史ですので、遊び心でみていただきたき、楽しんでください。
 正確性も求めていませんし、保証できません(笑) 違っていても「違うな」と
 ほくそえんで楽しんでいただきたく。

※私が物心ついて天文を知っているのは86年のハレー彗星以降です。60,70,80年代前半は、
 過去に聞いた伝聞や今回少々調べたことから想像で書きます。薄くなりますがご容赦を。
 90年代からは記憶と経験中心でそこそこ書けているはずです。

※ただし、90年代以降も、時期については記憶と独断の定義なのでざっくりで最大5~10年
 くらいの誤差があるかもしれません。

※機材などについては、民生用というか庶民が手に入ったもの、の視野で書きます。


では、はじめましょう。

Fig1_20240302022901


1960年代 天体写真趣味の黎明期・限られた人間だけの名人芸


機材においては、国内メーカーはまだ少なく、タカハシとビクセンの望遠鏡販売開始も
記録によれば60年代後半。そして庶民にとって高価だったはず。ほとんどの人は安価で
低性能(失礼)な望遠鏡やそれを改造したり、自作したりして天文趣味を行っていた。
買って手に入るのは10cm以下の小口径屈折、大口径がほしければ鏡を磨くなり
パーツを買うなりで組み立てていた。(のだろうか)

フィルムはモノクロ中心であった?モーター付き赤道儀はまだ販売はなく、望遠鏡の
背中にカメラレンズを載せ、望遠鏡の十字線からガイド星が外れないうに赤道儀の
赤経ハンドルを回し続ける「手動追尾」を行っていた。到底長時間露光は不可能。
天体望遠鏡での直焦点撮影はほんの限られた人物のみが行えていたと考えられる。

しかし、まだ郊外の光害まだ今ほどではなかったはず。自家用車もまだ手に入れにく
かっただろう。都心住まいの人以外は、庭先で撮影などのスタイルであったのではな
いだろうか。そもそも、週休2日の一般化は90年代である。そうそうサラリーマンでは
遠征などできるものではなかった。(のではないだろうか。)

モノクロ天体写真の現像・プリントなどは自分で行われていた。(のだろうか。)

天文ガイドは既に60年代で創刊されているので、天文趣味人口もそれなりにいたはずで
私にとっては謎多き時代である。

 

1970年代 天体写真の発達期・天文少年多数誕生?

天文少年の多数発生? 天体写真趣味の拡大期・光害の拡大で天文が趣味化?


このころ多数の天体写真関連の名著が登場している。藤井旭氏の「天体写真の写し方」や
古田氏の「写真で見る小宇宙」など。天体写真以外でも藤井氏の天文書籍も多い。
この時代になると藤井旭氏の本にもタカハシや五藤の望遠鏡が登場する。高価ながらも
既製品が手に入りやすい時代になっていたようである。また天文ガイドでは自作パーツも
多数広告があるので、自作も可能で活発であったことがわかる。

"水晶発振"の"モータードライブ"が登場しているが、高価であったためであろう、まだ
書籍でも使用は半々のような記述である。まだまだ天文少年は手動ガイドであったろう。
しかし雑誌の天文コーナーでは中年層がメーカー製の10~20cm程度の「反赤」で入選
している。豊かな時代に入ってきた証であろう。

フィルムにおいては天文用の103aシリーズが登場しており、いま見ても粒度は別として
103aEの作例ではHαがよい写りをしている。またカラーフィルムの登場によりカラー
撮影も始まっていた。

64年は東京オリンピックで光害が70年代が郊外に拡大した。星空が貴重化したことが
逆に趣味化したのではないか。学生は電車で登山遠征スタイルで。
乗用車が手に入れ易くなってきた時代である。社会人は車で遠征することも増えて
きたであろう私の父もこの時代に初めての車を買っていたようだ。

機材はタカハシやビクセン等が良質な小型機を出していている。このような機材を
東京近郊の人間が、車に積んだり、背負子に縛り、撮影に出かけた。
また地方の人はまだ自宅前で撮影できる環境であっただろう。

この時代の天文少年はいまは60~70代である。

 

1980年代 バブル・ハレー彗星・天体写真趣味の拡大

カラーフィルムの充実高感度化・光学系の多品種/高性能化・架台の電動化


70年代天文少年は就職し、バブルで景気も良く機材も手に入れ易かったのではないだろうか。
また80年代もハレー彗星という天文イベントにより、天文少年が発生しやすい環境であった。
(私がそう)

天文誌を見れば、タカハシ・ビクセン・ペンタックス・ニコン・ミザール・五藤・ケンコー
などなど、多数のメーカーが並ぶ。また屈折においてはカメラから側から入ってきた
EDレンズや、フローライトが使用されたアポクロマート、これまでの眼視向けであった
F10~12前後から、写真用を意識したF6~8程度が登場した。ペンタックスからはあの
105ED-UF(F4)名筒も出たのは象徴的である。

ビクセンはこの時代に既に自動導入スカイセンサーを発売していた。
ハレー彗星のときに使っている人を見たのは衝撃であった。
この時代の勢いのまま、いまのデジタル化を国内メーカーがけん引できていたら。

フィルムはハレーブームと同時期にコニカからGX3200などが発売された。荒かった・・
オートガイダーはまだない時代。長時間ガイドの難しい初心者には味方であった。しかし
この時代はフォトコンも充実してきたた時代である。高画質を追うマニアは低感度フィルムで
長時間ガイド(といっても1時間程度)を行ってていた。追尾はモーター任せにでき、
ガイド鏡の十字線を覗き、ガイドエラーを赤道儀のコントローラーボタンで修正するスタイル
である。(「電動ガイド」)

一般化したカラーフィルムに対し、モノクロ撮影はトップアマチュア向けの世界となり、
モノクロ撮影は、水素増刊TP2415によるものが席巻した。

一般写真でもコンパクトカメラや、一眼レフもAE,AF技術が入り、誰でも撮れる時代であった。
スーパーの片隅にもDPEの写真屋がいるような状態で後半には45分同時プリントなども充実
した。トップアマチュアはモノクロ・カラーとも自家現像、自家プリントを行った。しかし、
入門者も理解と腕のあるDPE店にあたれば、天体写真をすぐに現像プリントしてもらえる
環境にもなった。

天文人口増の結果としてか、スカイウオツチヤー誌の創刊もこの時代である。天文雑誌からも、
それ以外からもハレー臨時号なども多数発刊された。天体写真人口も増加し書籍では
「天体写真テクニック」も発売されている。

天文ショップも増加した。特に天体写真志向の店が出たのが特徴で「アトム」はその象徴である。

バブルまっ最中。光害はほぼ今と同レベルまで達した。
フィルム時代は光害に対抗は暗い空に行くしかない。バブルで車も若者も手に入りやすい。
郊外に延び続けていた高速道路で遠征スタイルが標準化してきた。
(しかし中央道や東名はほぼ現状であるが、まだ関越道は80年代後半でも藤岡までの時代だ)

なお、ごく一部のマニアはPCを入手しはじめていた時期である。


1990年代 銀塩天体写真の黄金期・オートガイダー登場で長時間露光時代

長時間撮影向け機材、中版フィルム向け望遠鏡、パーツが充実
パソコン普及(Win95)・インターネットが個人へ・携帯の普及・「電子暗室」「CCD元年」の言葉も登場


ここからは自己体験があるので急に詳しくなります。
ちなみに、過去にも90年以降のストーリーのある時期があります。

回顧録   http://morio.way-nifty.com/blog/2018/10/post-1472.html
浄土平と私 http://morio.way-nifty.com/blog/2019/08/post-7fbc9f.html
すばらしい天体写真仲間物語 シリーズ(1)-(5)  http://morio.way-nifty.com/blog/cat24145937/index.html

90年代は銀塩天体写真の黄金期。前半はバブルの最高潮の時代である。
現50代の方が学生から社会人に、90年代前から天文をやっていた方は脂がのり、経済的にも豊か、
国内メーカーからは天体撮影志向の鏡筒や赤道儀が多数発売された時期でそれを手に入れ易かった。
メーカー製にない、その穴を埋める天体写真撮影用のグッズも、天文「ショップオリジナル」として
多数出現した。

今後のCMOSの行方を占うことの参考にもなるが、高画質を求め35㎜版から6x7, 6x9版
フィルムでの撮影も盛んになっていった。

直焦点には不要なミラーやプリズムがあるマミヤやペンタックスの中版カメラでは扱いにくく、
コスト高であるため、「アストロカメラ」などがショップオリジナルで発売された。ピント確認用の
「ピントテスター」であるとか、ガイド用のガイド鏡や、ガイド鏡にガイド星を導入するための
ガイドマウントなども発売された。

フィルム全盛の時代である。フジ、コニカ、コダックからさまざまなカラーネガ・ポジが発売された。
しかしフィルムは相反則不軌が大きいため感光効率が悪い。1カットでの長時間露出が必要であった。

そこで、最も大きい天文機材の変化は変化はオードガイダーの登場である。代表的な製品は、SBIG社の
ST-4である。登場し始めた冷却CCD(小さかった・・)でガイド星を専用コントローラーで制御した。
オートガイドの登場で、体力の限界から解放され露出時間が飛躍的に伸びることとなった。
数時間級の露出が可能となった。その代わりまだ望遠鏡など機材の剛性が追いついておらず、アマチュア
自らのノウハウと加工で補強するよりなかった。

その強度の点でも屈折鏡筒が有利であるため、ED,SD,フローライトレンズの撮影を意識した高性能屈折が
多数発売された。またF数が明るければ当然有利であるため、タカハシのεシリーズ等も人気を博した。

フィルム撮影で数時間露光の時代である。その間に飛行機や人工衛星が通過したらせっかくの撮影が無駄に。
またガイドエラーでの失敗も、帰宅後に現像して気づくことも多かった。

モノクロであれば水素増感TP2415.6415に、自家現像とプリント、カラーフィルムもネガであれば自家現像や
ポジやプリントでであればプロラボへの持ち込みが多かった。

90年代後半になると、低速ながらもまずは後付けのサードパーティー自動導入装置が発売されはじめ、
これを追ってメーカーも赤道儀自体に自動導入を搭載しはじめた。はじめは専用ハードであったが、
Win95登場によりPCが普及し、ステラナビゲータ―やTheSkyなどでPC連携制御ができるようになって
きたことも寄与したと考えられる。

上述の通り、周辺では95年にWindows95が発売され、一般家庭・一般人にPCが浸透しはじめた。
一般家庭でもすこしずつインターネット環境が入るようになってきた。ただしまだアナログモデムから、
90年代後半にISDNが入った程度である。またPHSから携帯が普及し、90年代最後にはカメラ付きや
メール機能が搭載された。しかしまだ携帯電波は都市から郊外までであった。

長時間露光が可能となったらめ、より光害を避ける必要があり、主要高速道路がほぼ現在の形になって
いた時代であるから、都心から通い標高が高く暗い夜空を求め関東では甲信の山々へ遠征が主流であった。

通信環境はごく一部のマニアが前半からでパソコン通信、後半でネットの掲示板が登場してきた程度である。
天体写真撮影に関する情報は、天文誌の記事や、最優秀賞者のインタビュー、天文ショップや、遠征先での
交流が主であった。

天文イベントでは、木星軌道外で発見され期待されたHBが期待そのままに超大型彗星に。しかしHB彗星
最接近前に、それこそ彗星のように現れた大彗星、百武彗星。天文イベントにも事欠かない年代であった。

メインストリームは銀塩であったが、2000年が近づくと上記の通りPCが普及していた銀塩フィルムを
フィルムスキャナーで読み込み、主にフォトショップで画像処理も行われるようになってきた。
天文ガイドは「電子暗室」と命名。また、CCDが民生用に入り始め天文でも冷却CCDが登場してきた。
まだメガピクセルでもすごい、の時代であったが、特にIT系や研究職の方から浸透しはじめた。
天文ガイドも「冷却CCD元年」などのタイトルの記事も打つようになっていた。

またデジタルカメラもコンパクトデジカメが登場してきた。
デジタル化への流れがはじまりつつあった。

 

2000年代  アナログ・銀塩の終焉・デジタル混沌の時代 - デジタルデバイドでの選別 -

デジタルの技術革新著しく、機材投資疲れの時代・しかし今の礎がほぼ完成

<つづく>

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2024年2月25日 (日)

もう1つの視点 CP+レポート

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5年ぶり、2回目のCP+に行ってきました。

前回は完全ソロの弾丸でしたけども、今回は星沼会のみなさんに声かけいただいて、
昼(飯)~夜(会)までなので、電車で2時間かけていき、会場滞在6時間とじっくり見ました。

「カメラショー」時代は池袋でやっていたこともあり、何年も連続で行っていました。
がPIEになりビックサイトでデジタル化混乱期、ついにはCPになりパシフィコ横浜と
埼玉県民へのいじめ状態も加わり、脚が遠のいていした。

今回はじっくりみたことと、皆さんと会話して思考が深まったことからか、いくつかまとまった
気づきがありました。機材レポートはプロのアマ
CP+ 2024 - 星のつぶやき (hatenablog.com)
を絶対に超えることがないのでお任せし、私は別視点で簡単にレポートしようと考えました。


さて、

上述の通り私がよくCPの前身に通っていたのは2000年少し前のカメラショーです。
ちょうど大学生~社会人にかけての時期。フィルムカメラの絶頂期。

日本カメラ博物館 JCII Camera Museum:「日本のカメラショー60年」 (jcii-cameramuseum.jp)

総合映像ショー「フォトエキスポ'97」開催 (impress.co.jp)

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カメラ系 出展側の気づき;
当時の出展はニコン、キヤノン、ペンタクス、オリンパス、コニカミノルタ、京セラ、マミヤなどなど。
2024年にいくつ出展していたでしょう(会社として事業があるでしょう)? 例えばカメラを売ってはいるものの、
ペンタ(リコー)などは出展しておらず、代わりにソニーやパナのブースが大きいは時代変化の象徴です。


カメラ系 客側の気づき ;

00年代のはじめといえば、ニコンおじさんのようなお金もちカメラおじさんと、カメラ小僧の当時我らの同世代から
少し上の人たちオタクが多かった記憶。でもそれが少しほっとするでもあり、痛くもあり、でした。

そこがいまや、女性モデルさんに食いつくサンニッパ持ちのオタク少年のような層は減って、爽やかな若手男女が多し。
カメラ(写真)趣味は「カメラが趣味」「写真が趣味」と言うと「あ、そうんだんだ・・・」のオタクに対する反応から、
「すごいねー。おしゃれだねー。」の時代に変わっております。

(爽やかな)若い人、家族連れの多さに、終わってしまうのではと思っていたカメラに未来が少し見えました。

もちろん、女性モデルさんに食いついている人も居ないではないですけど、私らからの上の世代が
「そのまま成長」しているのがむしろほほえましかったです。

そもそも、ジェンダー、ダイパーシティーの時代もあり、モデルさんも男女いたり(そもそもいない)と、
時代は変わっているのだなぁと感じました。


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※ こちらは天文系、ちょうどあぷらなーとさんの時間。大盛況です。すこし年齢層高いか?(笑)


天文望遠鏡系 ; 
「カメラショー」時代は「JTBショー」として望遠鏡工業会のみの展示会がありました。
みなさんご存じの通り、もう日本にそんな展示会はありません。

その中で、サイトロン、ビクセン、ボーグが、フォト系であるCP+に入り込んでいるのは
応援したいところです。天文(写真)のアウトリーチとして大きな貢献であり、当然企業アピールに
なっていると思います。

また、客層を見ても若手帰りや他からの流入が進んでいて、未来が明るいんじゃないかと思いました。
上記以外の日本のメーカー(といってもタカハシくらいしかない)が取りこぼしていて勿体ないですね。

今回、望遠鏡系はCP+とは別に「天体写真バカ狭い史」として追ってまとめたくなってきましたので
後日記事にします。お楽しみに。


個人的な1日 ;
いやぁ、埼玉から電車は遠い。みなさん声かけいただかなければ行く気になれなかったかも。
遠い場合、モノを見るはなんとか店でも補えますから、普段会えない人とリアルに会える、に価値ありです。

11時に新高島駅入りし、星沼会 だいこもんさん、Aramisさん、そーなのか―さん、ぐらすのすちさんと
中華で腹ごしらえ。ちなみにぐらさん以外は「あけましておめでとうございます」や、半年ぶり状態。
星沼会は(現状)神奈川~宮城のSNS発つながり集合のため、リアル集合がレアなのが特徴です。

会場内は6時間滞在しましたのでこれでもかというくらい見ることができました。
カメラメーカーのモノの場合はカメラ店で触れることができますが、むしろカメラ店に取り上げられない
小物類に出会えるのが良い点でした。

そして一流カメラメーカーは「開発中品」は出ませんが、望遠鏡メーカーは数々の開発中品をみることが
できるのがよいですね。

終了時間まで会場に滞在し、(実はリアル初の)天リフ山口さん、Samさん、あぷらなーとさん、”ある方”、
昼の星沼会メンバからさらにNiwaさんとまちょさん、Uchanさん、と、天文界談義の宴会となりました。

はじめてお会いできてて、あーこんないろいろなみなさんと関われる天文やっててよかった。
と思える1日となりました。 ありがとうございました! またよろしくお願いします。

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2023年12月24日 (日)

2023年 天文振り返り 今年もありがとうございました!

まだクリスマスで、少々早いですが年末のご挨拶です。
もう年末が近づいてきてしまいました。毎年同じ挨拶ですが、はやいものですね。

今年は12月の新月は過ぎましたのでこれで今年の最終記事になります。
いつもご訪問いただきありがとうございます。

1年天文活動のふりかえりとなります。
今年は天体写真遠征で7回。曇り承知で星沼会合宿へ1回、嫁さんと星見ドライブへ1回。

子供も大きくなり、誘ってくださる仲間も増えたので遠征回数は昨年に続き多いですが、
ことしは特に春~夏季が遠征しても雲が取れない夜が多い1年でした。
足しあげてみると、2335分間の露出。約39時間で、一年の0.4%を露光に費やしました。

遠征を振り返ります。

の前におしらせ、下には文章で詳しくでまとめますが、
今年は遠征画像はついにyoutube1本でまとめてみました。

 

1回目、1月 星沼会合宿
2023/1/28   茨城県高萩市遠征(合宿)記: M&M Village (way-nifty.com)
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2022年に星沼会の末席に加えていただき、合宿に初参加です。
(と言っても星沼会の合宿は2回目とか。星沼会は半〇レ集団のようなその時時の集まり方ですので。。・)

月没が遅いのでのんびり宴会をやってから夜長なので撮影もできる、しかもZTF彗星も見られるという、
最適の日程でした。雪が残っているだけに思いのほか寒かった・・・
でもグランピングサイトであるだけに、寒ければテントに逃げればよいだけ。これは最高です。
朝まで快晴で、ZTF彗星や春の銀河を撮影、みなさんと一緒なので久々の撮影後の温泉も楽しみました。


2回目、4月 戦場ヶ原遠征
2023/4/22   戦場ヶ原遠征記(星果3作品+星景あり): M&M Village (way-nifty.com)
この日は今年はじめてで、風の民氏と合流。天気予報がよく、これは明け方のアンタレス付近をたっぷり
露出してやるぞと意気込んで向かいました。夜中まで天気はよかったのですが、ちょうどアンタレス付近の
撮影開始予定時間に曇り、再び晴れましたが、薄明真近で撮影は不完全燃焼に終わりました。
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3回目、6月の浄土平
2023/6/17   浄土平遠征記(星果3作品+星景あり): M&M Village (way-nifty.com)

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近年、天候不順のおかげでむしろ6月の梅雨であるべき季節にも晴れてくれます。
この日もそんな予報なので、風の民氏とぐらすのすち氏を誘い、浄土平まで足を延ばしました。
予報通り、天気は終夜快晴。夏の対象の撮影が捗りました。いい星景もたくさん撮れた。
が、ぐらすのすち氏は機材トラブルで涼しい星空の下で熟睡でした。

今年の浄土平は、夏以降の天気が悪くこの日だけになってしまいました。
来年は何度か行くぞ。


4回目、8月の小海町遠征
2023/8/19   長野県小海町 八ヶ岳 遠征記(星果1作品+星景あり): M&M Village (way-nifty.com)
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熱帯化し、近年は晴れない日本の夏。7月も梅雨明けたのに新月はだめ、8月もダメ。
でも我慢できないということで、自宅から2時間と近い中で標高のある小海町で勝負。
この日は初対面の眼視派のフォロワーさんに出会えました。晴れませんね~の会話が続きました。

結果は・・・1時過ぎまで雲の中。

露出時間は90分が辛うじて確保で来たのみで薄明を迎えました。
短い夏の思い出。


5回目、9月の小海町遠征
2023/9/17   長野県小海町 八ヶ岳 遠征記(星果2作品+星景あり): M&M Village (way-nifty.com)
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9月になっても熱帯状態。さすが過去で最も暑かった夏です。
浄土平までいく勝負がかけられず、この9月も小海で手打ちしました。
でもよかった、ほぼ終夜晴れました。M31などが集中して撮れました。
しかし、強い夜露には閉口しました。一瞬で星景用カメラのレンズも曇ってしまいました。
明け方にはオリオン座、夜空での夏は終わりです。


6回目、11月夷隅郡遠征
2023/11/18   千葉県夷隅郡 遠征記(星果5作品+星景): M&M Village (way-nifty.com)
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10月が天気が悪く、浄土平のシーズンが終わってしまいました。
(実は、10月の金土で今年の星沼会合宿があり、私は仕事で金曜が参加できず金曜は晴れ、
 土曜から参加したもの雨、という残念な結果でした。)
11月のこの新月も関東甲信の予報が悪く、なんと千葉くらいしかよさげなところがない、
しかし、千葉は行ったことがない、どうしよう。と思っていたところ、(面識ない)DMYKT氏が
向かわれると風の民氏からの情報を得て、初の場所に向かいました。
首都高を走り東京を抜け、アクアラインを走る行く遠征なんて、新鮮すぎ。

結果は大成功、終夜晴れてとてもよい一夜でした。
正体不明だったDMYKT氏もとても紳士な先輩で、今後もご一緒させていただきたいです。


7回目、12月 霧降高原遠征
2023/12/09   霧降高原遠征記(星果3作品+星景): M&M Village (way-nifty.com)
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これまた初遠征地へ。北関東の風の民氏に誘われたことと、南から高層雲が夜半まである予報だったので、
初のこの場所を選びました。顔なじみの方の先着者もおり、1年のしめくくりにふさわしい一夜。
薄明終了はすっかり早くとも予報通り23時までは曇り、そこからしっかり晴れてくれました。

おかげで撮影はでき、途中で曇ってしまうパターンよりはるかに気分のよい遠征でした。
しかも寒すぎず快適でした。でも一般人にメジャーなだけあって朝方の人出にはびっくり、

来年もまたあちこち遠征できますように。


主な撮影星果まとめ(4枚選んでみました)
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Orion

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今年も4作には選び難く、ほかにもお気に入りはありますが。。。


大きなお買い物
お買い物は、EOS Rを今さら中古で入手したのが目立つところ。
初めてのミラーレス&バリアングル液晶で、星景用に買ったので
「みんなこんな便利なもんつかってたのかよ~」
てのが正直感想です。星景の切り取りも1upできました。


まとめ
今年は夏からの仕事も忙しく、天文でリフレッシュしたかったのですが、
天候に恵まれませんでした。その中でも年末にかけてよい空に出会えたことと、
また少し、今年も新しい方々ともお知り合いになれて新鮮な1年でした。

みなさまはいかがでしたか?
いつもブログをご覧のみなさま、twitterでお世話になっている皆様、
今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします!

来年は、夏まで忙しい予定ですがなんとか仕事に一区切りつけて秋の彗星を満喫したいです。
そのためにはとにかく元気でいること。これを最優先にいきます。

どうか良い年になりますように!

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2023年9月13日 (水)

人生は長く、短い。 星をみた思い出を自分に残そう。

遠征記を年に4,5回書く程度のこのブログ。自分の忙しい時間を割いて
テクニカルなことを書く時間もなく、そもそも人様に教えるテクニックもありません。

数年に一回、彗星レベルで某SNSでは書ききれぬことを記事にしています。
前回はこんなことを。
”俺にしか撮れない天体写真 それは俺が撮る天体写真”(天体写真は自分のために撮るもの)  : M&M Village (way-nifty.com)
今回は、天文歴が長くなって、かつ歳をとってきて最近の気づき、思いを書いてみます。

天文歴が長く、もう何回も同じ対象を撮影し、同じ遠征地へ何度も行っています。
天体写真は処理が終わればとりあえずはブログに貼りますが、データをPCの中に
しまいっぱなし。これを撮ったのはどんなときだったか、出かけたときに何があったか、
直焦点写真を見ただけでは、しみじみ思い出せることはあまりありません。

しかし、幸いこの10年ばかりはブログに遠征記を書き、遠征のスナップも貼っていたので
組合わせると想いが蘇ります。

昨年、天リフさんのガチ天に出たときに発表資料にも挿しました。
1251

星の写真は墓に持っていけません。遠征風景の写真も持ってけないけど。
ただ、生きている間に大事な星見、星狩りの記憶を鮮やかに思い出すことはできるでしょう。

上のガチ天の2枚は発表用なのですこし作りこんだ撮影のものですが、
自分用は行った先が分かって、その遠征で後の記憶に残したいシーンを
そのまま切り取って押さえるようにしています。

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遠征スナップ自体はフィルム時代の20歳前からからおふざけで撮ってました。
そして、30代が近づき若い自由な時代がもう長くないことを悟った頃に
ちょうどデジカメに変わったので、2005年頃から「想い出残し」に撮るようになっていまいした。
これ↓はEOS30D

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しかし、1枚の重みを知ってしまったのは、やはりこの1枚でした。
追悼 HH(酒力)さん すばらしい天体写真仲間物語: M&M Village (way-nifty.com)
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みなさんも天文ライフを楽しみつつ、1つ1つの思い出の積み重ねを大事にされてください。
いつか後から振り返って、輝くことでしょう。

※個人の意見であり、みなさまのそれぞれの考え方を否定するものではございません。



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2022年12月29日 (木)

2022年ふりかえり 今年もありがとうごさいました!

今年もまた年末がやってきてしまいました。毎年同じ挨拶ですが、はやいものです。
これが今年の最終記事になります。ここで1年天文活動のふりかえりとなります。

今年は昨日、最後の朝霧高原遠征も終え、遠征は8回。記憶では独身以来の最高記録です。
理由は子供もそこそこ大きくなってきたこと、やはりコロナで家族旅行は少ないこと、
あとなんと言っても、風の民氏復活と、結果的に入水もした星沼会のみなさんとの
関わりが大きく効いているでしょう。

遠征を振り返ります。

1回目、2月の花立山遠征
2022/02/05 茨城県旧美和村 近征  (星果4作品): M&M Village (way-nifty.com)
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冬型の強いとても寒い日でしたか、風の民氏に誘われ、Aramis氏を誘っての、
故酒力氏と15年ぶりに来て以来からまた5年ぶりの花立山自然公園。昔の風景がそのままでした。
思いがけない昔の仲間、Twitterでつながっていたみなさまとの新たなリアルな出会いもあり。
空が明るいところではありますが、終夜天気は良く、透明度の良い夜でM78付近などをゲット。


2回目、4月の小山ダム遠征
2022/04/02 茨城県高萩市 遠征  (星果??作品): M&M Village (way-nifty.com)
天気予報があまりすぐれない中、勝負をかけてみました。初めての場所でした。
Aramisさんと合流させていただきました。またここでもTwitterでつながっていた方々との
初のご対面があしました。みなさま近々お子様の誕生で休眠されるとか。
また復活したらご一緒しましょう。

雲の通過が途切れず、良い作品は得られませんでした。
銀河を主に撮りましたが、それでも画像処理するとフラットのトラブルがありました。


3回目、5月の植樹祭公園(栃木県)
2022/05/28  栃木県矢板市遠征(星果4.0-2.5作品): M&M Village (way-nifty.com)
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風の民氏に誘われ、氏のお庭に行きました。浄土平に行きたいシーズンですが、
予報が優れず近場で手を打ちました。だぼ氏も声をかけたら来てくださいました。
まだ関東平野端で湿気が多かったため、空は明るめでした。
直前に購入したASI533MCの初テストなどをしてみました。


4回目、7月の浄土平遠征
2022/07/02  浄土平遠征(星果4.5?作品): M&M Village (way-nifty.com)
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大本命の浄土平の今年初。天気は間違いなし予報でしたので、ぐらすのすちさんや、Aramisさんなど、
星沼会関係のみなさまに声をかけました(当時はまだ入水していませんでしたが、この日がきっかけで
入水させていただきました)。

行きに、目の前でUターンされるなどトラブルありましたけど、この空なら忘れます。
また、砂利の駐車場側とはいえ、こんなに虫がいたのは初めてで、日が暮れるまでは苦しみました。

夜は、薄明終了から開始まで完璧な晴れ。M8.M20など、バッチリ”モノ”にしました。


5回目、7月月末の浄土平遠征
2022/07/30  浄土平遠征(星果3?作品 & 浄土平であいましょう): M&M Village (way-nifty.com)
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この日はついに、「いつか会いましょう!」と話しをしてくた星沼会の本部のある?仙台の
だいこもん氏も含めたみなさまと、ついに合流できました。
また風の民氏も久々(20年ぶり?)の浄土平遠征になりました。

22時前までは雲が通過しましたが、その後は快晴となり撮影が捗りました。
この夜はみなさんの「入選作」も取得されたようです。

私も、だいこもん氏に薦められてとったクワガタ星雲が、初の撮影で新鮮でした。


6回目、10月の白布峠遠征
2022/10/01  福島県北塩原村遠征(星果約4作品): M&M Village (way-nifty.com)
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風の民氏と、また浄土平に行きたいと話し合っていましたが、夜間工事に噂があり、
さらに遠いほぼ山形県である白布峠に避難。福島市や郡山市から離れているので
浄土平よりさらに暗い空でした。この夜も一晩中晴れで、来た甲斐がありました。


7回目、10月末の八方ヶ原遠征
2022/10/29  栃木県矢板市遠征(星果約2.5作品): M&M Village (way-nifty.com)
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風の民氏と今年最後の浄土平、といきたかったですが、北の予報が優れず八方ヶ原で手打ち。
風が強い日で、冬の対象を500㎜で撮りたかったのに、300㎜F3に下げて対策しました。
天気自体はよかったのですが、風が体にも堪えました。

F3撮影を活かし、これまで撮ってこなかったアイリス星雲などを撮りました。


8回目、12月の朝霧高原遠征
(ブログ記事これからです。)
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これから(おそらく年明け)記事化するのでネタバレになってしまうのであっさりと。
コロナ前は年末恒例としていた、朝霧高原へ遠征。GPV予報では曇りの予報を裏切り、
終夜晴れてくれました。年末休暇に入ったのに独りぼっちで不思議な夜でした。
撮影星果はこれから現像なので未知数。



主な撮影星果まとめ(4枚選んでみました)
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4作には選び難く、ほかにもお気に入りはありますが。。。


大きなお買い物
大きなお買い物はこれと、カメラ用カーボン三脚でした。(大人し目?)
ASI533MCと、Polemasterを買った: M&M Village (way-nifty.com)



ほか課外?活動
天リフの、ガチ天「ガチ天とは技術ではなく態度である」で少しお話させていただきました。
星ナビの、「ネットよ今夜もありがとう」のコーナーにHPからブログになって20年ぶりに
掲載いただきました。


まとめ
今年は夏からの仕事が忙しく、なんだか仕事ばかりでなく、全てが追い詰められている感で
過ごす日々になってしまいました。それだけに遠征に現実逃避できたのは幸いでした。
なんとか年末に近づき、平常心をとりもどしつつあります。

来年は、何事もなんとかなる、と、どーんと落ち着いて過ごしたいものです。

今年はみなさまいかがでしたか?コロナの終息ももう一息でしょうか。
いつもブログをご覧のみなさま、twitterでお世話になっている皆様、
今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします!

どうか良い年になりますように!

 

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2022年7月18日 (月)

”俺にしか撮れない天体写真 それは俺が撮る天体写真”(天体写真は自分のために撮るもの)  

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某twitter界隈そのほかで少々盛り上がっている話題。140文字では書ききれないので
こちらで徒然なるまま。めずらしいでしょ、オピニオン系?書くの。連休雨で暇だから・・・

これまでも書いてきたように、フィルム時代から天体写真をやってきた。

90年台後半~00年台前半は自分的にもりあがって、機材も大きくなっていった。
フォトコン挑戦もしていた。

それはそれで仲間との撮影も、載った載らないの会話も楽しかった。

しかし、フォトコンに 載せるために撮る、載りやすいものを撮る、のに少し疲れというか
楽しくなくなってきたのを少し感じていたのも事実。

淡いモノ追いより僕は派手星雲がどうも好きだったこともあり・・・

(別にフォトコン是非を問いたいわけではなく、フォトコンの是非は是だと思ってます。)

さらには、00年台に入りこれまで努力して撮ってきた”ずっと宝物”と思って得てきた
フィルム天体写真の結果が、デジタル化でいとも簡単に超えて(破壊)していく。
いままでの作品も、一生モノだと思って買った機材も陳腐化著しい。

こりゃ一体なんだろうと思ったわけです。
競争の燃え尽き?で消えていった方々も少なくはありません。それも悪いことではありませんが。

そんな中でも幸い私のまわりの年上の星仲間は「いやぁ~ xxさん流石ですね~」系ではなく、
星撮りしながら他の遊び(鍋とか焼肉とか)をして、遠征しつつ天体写真撮影遠征を大エンジョイ
している方々。

その「一体なんだろう」と思った頃がちょうと就職して時間が取りにくくなってきた頃。
このまま重厚長大な機材とそれを追い続けての趣味継続だと、継続自体が怪しいと思ったため、
大きい機材を全て売り払い、ダウンサイジング(それでも今では大きいですが当時的に)。
撮影旅行である遠征自体を捨てないため、とにかく遠征に行ける身軽さをとる作戦に。
そしてフォトコンはやめてしまえ、としました。

特に10年台が混沌としているようで混沌としていなくて、天体写真が画一的な
みんなxxさん式(風)になってしまい、見ている面白みは減ってしまいました。
一方、子供が生まれて出かけにくい時期maxでしたのでたまに遠征に行って写真が撮れる
喜び自体は褪せなかった。


作戦チェンジからもう少しで20年近くたちますが、子供を持つようになっても細々飽きずに
それ以前の天文歴以上に長く続いていますので、悪い方向性ではなかったかもしれません。

競争に疲れたり注目されなくなったりすると「自分のため」と言い出すものですが、
趣味だからいいでしょ(笑)


さて・・・

写真の場合、最後まで残る価値や意味は「自分で撮った写真かそれ以外か」になると思うんです。
写真そのものは周りの人にとっては、ありふれたものであったり、どんどん陳腐化していきます。
しかし、自分でその写真を撮ったときの、自分の想い出は他の誰のものではないですし、
ありふれたものや、陳腐化していくものではないでしょう。

だから自分の写真だけは特別。なのです。

上の写真は私は1992年に初めて撮ったDSOの写真、M31です。

いまや写真の写りそのものはどうでもよいモノです。しかし高校生のとき、仲間と新宿から中央線と
バスを乗り継ぎ、入笠山牧場でペルセウスが流れる中、夜露で牛の糞が生がえって少し匂う中、
ガイド鏡もまだ買えなかったのでガイドがうまくいっていいるか不安の中で撮ったこと。

夏休み家に帰ってきて、自転車で同時プリントを取りに行く行きのウキウキした気分と、
写真があがって店で少々見た後、じっくりみたくて急いで家に帰ったあの気持ち。

この気持ち、写真には写っていませんが、全く褪せていません。
私の人生、データでは残っていませんが最近みなさんが撮ってくださる遠征動画のような
天体写真撮影遠征のロードムービーが、頭の中に胸のなかにいくつも入っているのです。

これら、sky shooting, 星狩り 旅行の楽しみそのものの思いを共有したく、共感いただきたく、
天体写真が「採れた」、「星果」(=成果ではなく釣果のもじり)で言語化させていただいています。

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2022年7月16日 (土)

星ナビに載せていただきました。「ネットよ今夜もありがとう」

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星ナビに17年ぶりに載せていただきました。17年ぶりというのは最後のフォトコン入選以来です。


載り方?は「ネットよ今夜もありがとう」のコーナーです。個人リレーでwebを紹介する形式で
Aramisさんから紹介いただきました。


実は21年前もこのコーナーには載っています。当時はまだダイヤルアップの時代で、
載せていただいたのは個人HP作成ブームでしたから、私の個人HP(現在休止)でした。
今回はブログになって再登場です。

当時はフォトコンを追いかけて時代。なつかしいなぁ。ネットは普及しはじめていたので
(でもスマホもSNSもなまだない)、チャットかネット掲示板で星仲間と遊んでいましたね。


わたしがどなたを紹介したか、10月号をお楽しみに!

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2022年1月25日 (火)

第三者の撮影した画像を処理して学ぶ

ご挨拶おそくなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、コロナのオミクロン株でいろいろ騒がしい中で、
まだ遠征も行っていませんが、天文ぽいことをやってはいます。

「第三者が提供くださった画像、全部処理する。」です。




その1は、年初にやってきました。Masaさんです。

北アメリカ星雲の画像です。
なんと、私の画像処理した一番露出が短い素材でも180secX462コマが元素材のもの。
QBPフィルターも使われています。

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いやいや、露出たっぷりのすばらしい元画像。全然ノイズがない。しかも自宅撮影だそうで。
ノイズ処理不要で楽だよ!!!

21人も応募があったそうで、youtubeにまとめてくださいました。ありがたい。
【フォロワーさん参加企画】総勢21名による北アメリカ星雲の画像処理 ※SIGHTRON QBP-Ⅱフィルター使用※ - YouTube

Masaさん、ありがとうございました。



その2は、タカSiさんです。

オリオンベルト付近を撮影してもので、イプシロン160に、ASI6200MMのモノクロでL、
イプシロン130にASI6200MCでカラー画像(RGB)を取得。総露出が17時間に及ぶものです。
ブルジョア機材にブルジョア的露出時間。

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初のLRGB合成を行いました。こりゃ勉強になりました。
露出時間も効いているでしょうが、L画像により諧調が豊なのはもちろん、色分離も良いです。
特にコネコネしなくても画像が出てくるので、荒らすことも荒れることもありません。
ある意味画像処理が超簡単です。

L+RGB撮影の効果、威力、手間など、実際に行うことでよくわかりました。
タカSiさん、ありがとうございました。

 

その3は、だぼさんです。

M42の画像で、な、なんと、年末購入されたばかりのTOA-130によるもの。
露出は短いとかいろいろ仰っていましたが、解像度が破壊級。

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ものすごく細かい構造が出てきました。しかもハイライトが潰れてない。
うーん、大きな望遠鏡が欲しくなる。しかもこのQHYカメラのおかげか発色もきれい。

だぼさん、ありがとうございました。


まとめ

他の方の画像を処理することは積極的にやってみると良いです。

自分の撮影した元画像と、他の方の元画像は、質がどのくらい違うのか?
他人の画像を処理すると、さらに他の人が処理した結果とどう違うのか?

これらをよく観察・判断することで自分の天体写真は、撮影素材がボトルネックなのか、
画像処理工程に由来するのか、切り分けることができ上達もすることができます。

画像処理がネックであれば、まず機材に投資するのも、それは間違いということになるわけです。
ぜひチャンスがあったらやってみてください。

 

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2021年12月29日 (水)

2021年 今年のふりかえり

今年ももう少しで終わりですね。はやいものです。
これが今年の最終記事になります。ここで1年の振り返りをさせていただきます。

なんといっても1~2年で収束だろうと(私は)甘く見ていたコロナ禍に大きく影響を受け続けた1年でした。
私は2月頃に家族がイギリス株の濃厚接触者になってしまったこともあり、私まで保健所要請で2週間ほど
自宅待機をした滑り出しでした。

そもそも1月は緊急事態宣言真っただ中で、そのため趣味を振り返るにも1~2月は全く活動なしでした。
今年はスキーも自重し一度も行きませんでした。趣味的には真っ暗な年初でしたね。


というわけで、3月からの趣味を振り返りましょう。

まず機材散財から話に入ってしまうのもアレなんですが、今年はASI2400MCの投入が大きかったです。。。
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EOS6Dを2015年に投入、FSQ-106EDを2018年に投入してきました。EOS6Dでの撮影が一通り終わっての”落ち着いた感”。
それと、「たっぷり露出をかけ、さらにその先に行くにも、さらに性能の良いCMOSカメラがあるなら、それを投入してから
先に行った方がよいにきまってる」と決心がついたことが決め手の動機でした。


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そこからしばらくは、接続関係の対応に追われました。デジカメのケーブル接続や電源供給の対応のため、
久々の秋葉原通いと自作に集中した春先でした。久々の細かい作業に老眼を感じる日々。

また、CMOSカメラへの慣れ、特に制御ソフトへが中年にはすこしとっつきにくかったですかね。



そして初遠征は、4月の原村からスタートしました。けーたろさんとご一緒させていただき、機材談義にも
話の咲く一夜となりました。けーたろさん、ありがとうございました。
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初めてのCMOSカメラの出動ですが、天気も良い中で落ち着いて立ち上げを行うことができ、
ファーストライトは無事ゲットできました。これを満足と言わずに何と言うか。
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そして、6月にはずっと我慢していた、SIGMA 135mmF1.8Artを入手。
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2回目の遠征は、5,6月の天気も悪かったため、7月になってからの浄土平になりました。

この遠征では、例年なら4月に再開を果たしている福島のみなさまに少しお会いできたこと(関東からなので
コロナもあり控えめになってしまうのが残念)がまずひとつ。そして、天リフイベントによって以前浄土平で
ニアミスしていたことがわかった、さすらいさんにまた浄土平でお会いできたこと、この2つが何より
とてもよかったです。さすらいさんの隣に陣取らせていただき、楽しい一夜を過ごすことができました。
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浄土平での記念写真も兼ねた星景をJPG-Sで撮るという失態を起こしました。帰宅して気づいて泣けました。
ただし直焦点は一部夜露に襲われながらも順調で楽しい夜でした。初参戦の135mmArtも噂通りの結果でした。


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さて、3回目の遠征は、8月の栃木県の県民の森でした。
これには大きな意味があり、20年前以上前からのの天文仲間が20年ぶりに天体写真に復活という私にとっての
大イベント。
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夏の短い夜の撮影中、懐かしい気持ちになりました。実は私の一回り以上年上の天文仲間であり、若かりし頃、
いろいろ教えていただいた大切な先輩でもあります。当時は故 酒力さんも混ざり、賑やかにやっていましたが、
いまは私もすっかり落ち着きました。

しかしこの夜は昔のようにあーでもない、こーでもないと楽しめた一夜でした。友人の20年のブランクを感じない
昔取った杵柄はさすがで、初戦から作品ゲットしていました。




4回目の遠征は、10月の原村。この日はtwitterのフォロワーさんとたくさんお会いできました。
初めてのぐらすのすちさん、Niwaさん、そしてAramisさん、だぼさんなど合流、年齢も幅広い方々があつまって、
いろんな意味で賑やかで刺激の多い遠征でした。そしてなにより、「遠征動画」がますます成長中の昨今、良い風景を
ぐらすのすちさんと、Aramisさんによって残していただけました。
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今年最後の機材投資(のはず)P-2のK-astec改造が終わり撮影デビュー戦でもありました。
撮影星果は天候が落ち着いており、M45などじっくり撮影ができました。



5回目の遠征は、11月にはじめての八方ヶ原。これまた「天文復活の友人」と一緒です。
友人の復活に合わせ、北関東の撮影スポットを探索しているところです。まずまずの空の暗さ、そしてなによりも
近いのが魅力になりました。友人の撮影はより順調になってきたので、ゆったりと撮影を続けました。

この日も快晴で、一夜通して満足な撮影ができました。
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そして、今年最後となった6回目の遠征は 先日の12月の原村でした。
Atamisさん、と~みんさんとご一緒させていだきました。これまた一夜通しで天気がよく、なによりも明け方の
レナード彗星を、見て撮ることができました。そして再び、遠征の記憶をAramisさんに遠征動画にしていただきました。
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さてさて、まとめてみますと、遠征に行っていないようで、今年は6回出撃し全勝でした。
近年では多い出撃回数であり、しかも勝率?も完璧です。これは幸せな年でした。

来年も天文を楽しめるよう、健康に留意しながら仕事もこなし、そして天文でリフレッシュできればと思っています。
趣味に特に目標はありませんが、せっかく良いカメラを入手したので当座は機材を固定し、あれこれ撮影していこうと
考えています。

 

いつもブログをご覧のみなさま、twitterでお世話になっている皆様、今年もありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします!

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