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2024年3月20日 (水)

私の天体写真バカ狭い史 - CP+の道中から - その2 【完】のつもり

記事を切り替え、2000年以降のデジタル中心時代の2回目です。
これで10年台を加えたので、いったん完成のつもりです。

ひきつづき、

昔はよかった、と懐かしむものではなく、
 いまがいかに良い時代か
 みなさんよい時代に天文に入られたか
を伝えたい一心で書きます。

※勝手な時代解釈による歴史ですので、遊び心でみていただきたき、楽しんでください。
 正確性も求めていませんし、保証できません(笑) 違っていても「違うな」と
 ほくそえんで楽しんでいただきたく。

※私が物心ついて天文を知っているのは86年のハレー彗星以降です。60,70,80年代前半は、
 過去に聞いた伝聞や今回少々調べたことから想像で書きます。薄くなりますがご容赦を。
 90年代からは記憶と経験中心でそこそこ書けているはずです。

※ただし、00年代以降も、時期については記憶と独断の定義なのでざっくりで最大5~年
 くらいの誤差があるかもしれません。

※機材などについては、民生用というか庶民が手に入ったもの、の視野で書きます。

Fig1_20240302022901


2000年代  アナログ・銀塩の終焉・デジタル混沌の時代 - デジタルデバイドでの選別 -


デジタルの技術革新著しく、機材投資疲れの時代・しかし今の礎がほぼ完成


90年代に登場したデジタルカメラはコンパクトカメラから置き換わり、00年代半ばにかけ、
コンパクトカメラだけでなく、一眼レフも低価格化した。そのため一般写真界でデジタルカメラへの
移行が加速した。

天体写真界では00年頃にかけSBIGをはじめ、国内メーカーでも冷却CCDが充実しはじめた。しかし
まだCCD撮像も画像処理もハード・ソフトともに障壁が高い状態であった。そのため、研究職など
理論から技術を理解できる方や、IT職に近い方のフィルムから冷却CCDの移行が先行した。まだ
デジカメのノイズが大きく冷却CCDに特に画質でアドバンテージがあった。2010年代半ばにかけ、
デジカメと二分しての冷却CCDによる天体写真の最盛期を迎えることとなる。
国内では90年代後半でアストロアーツからステライメージがリリースされており、冷却CCD画像
処理から、画像処理のスタンダードソフトとなっていた。

2000年代はPCが低価格化して殆どの過程に普及した、ネット環境もアナログモデムからADSLへ移行し
高速化した。ネット掲示板や個人ホームページのブームも起こり個人間での情報共有が簡単にできる
ようになった。00年代中盤にはブログや国内ではmixiなどからSNSサービスもはじまった。

さまざなまホームページが充実し情報も得やすくなった。またネットショップも拡大した。
天文ショッブは、ネットショップサイトが運営できるショップとできないショップで、勢力の
入れ替わりが起り始めていた。

冷却CCDではほぼモノクロが主流となったため、カラーフィルムからの移行の躊躇が大きかった
理由の1つと推測する。そのため、フィルム時代からの天体写真ファンの多くはまだ00年頃は
中版フィルムカメラでの撮影がメインであった。しかし、一般写真界でのデジタルカメラ移行が進み、
カメラメーカーのフィルム機の生産中止、フィルムの製造中止の発表が相次ぐようになってきた。

そのためフィルム天体写真ファンもフィルムからの移行障壁の低い(カラーである)デジタルカメラへの
移行が進むようになってきた。ただし、ステライメージをはじめ、天文用画像処理ソフトの
デジタルカメラ対応が冷却CCDより遅かったために、デジカメでの天体画像処理は混迷を極めた。
フラット・ダーク処理専用ソフトや、Raw現像ソフト、レタッチソフトとの組み合わせなど様々な
流儀が発生した。


そのため、そもそも冷却CCDであっても、デジカメであってもPCが苦手、デジタルが苦手、あまり
好きではないという方々はフィルムから冷却CCDやデジタルカメラへ移行せずに天体写真から
フェードアウトする方々も多かった。

私はこれを「デジタルデバイドによる選別」と呼ぶことにする。いま60~80代でフィルム時代から
天体写真を行っていてデジタル移行せずに天体写真を止めてしまった方は多かった。


また、デジタルカメラでは素子や処理エンジンの更新は著しく1,2年で陳腐化する状態。世代が変ると
著しくノイズ特性が向上していったため、デジカメの買い替えで疲弊しがちであった。さらには
デジタル化による解像度UPで、フィルム時代のカメラレンズや望遠鏡の多くが性能不足となり、
買い替えが必要となり、カメラ以外の投資も嵩む時代となった。

架台はほぼ自動導入が標準となってきていた。また00年代後半にはPCソフト制御による低価格の
オートガイダーが登場するようになった。

ただしまだスマホの普及前であったし、天体写真界では天文専用PCソフトか、ハードでの自動導入
こそあれど、プレートソルビングなどは普及していなかった。そのため、フィルム時代に比べ、
数分から数十分露光のスタックとなり撮影成功率が上がったが、まだ露出時間の最長トレンドは
デジカメでトータル2時間程度、冷却CCDでも数時間であった。


そして、経済面では、まだ現在のように望遠鏡と赤道儀が、台湾や中国製が跋扈して低価格化して
いない時代であった。若手は就職氷河期世代であった。そのため、いま40代程度の当時の若者が学生、
社会人で天体写真をはじめるにはコストが見合わなかった。

また、上記の通りデジタル移行できなかった当時40~60代、現60~80代の方が天体写真から引退したため、
天体写真撮影者が一旦少なくなった時代であった。

90年代やまた近年賑やかなスポットへ新月期に行っても人は殆どいなかった。
天文界の天体写真ファンは減り増えもしなかったし、まだデジカメの性能が低かったから
「一般写真(デジタルカメラ)界からの星景写真」ブームもまだ始まってはいなかった。


だだし振り返れば、今とレベルの差こそあれ、
冷却CCDカメラ、低価格なデジタルカメラ、自動導入の普及、PCソフトによる低価格のオートガイダー、
天文専用画像処理ソフトの普及、PCの低価格化、高速インターネット環境、
SNS、Youtubeサービス開始、携帯のネット接続と山間部での電波環境改善、リチウムイオン電池の普及
など現在につながる技術の殆どがこの時代に生まれている。

 


2010年代  デジタル安定期・情報の拡散   - 若手や新規者の参入、カムバック組登場-

冷却CMOSカメラ普及・海外製品拡大で低価格化/選択肢増・スマホ登場/SNS情報共有速度加速

いよいよ現在の10歳台でもなければ、「最近」と言ってもいい時代に入る。
この時代の天文雑誌なら物置でなくまだ本棚に並んでいる。

そこでフォトコンを語るつもりはないとはいえ、久しぶりに雑誌の天体写真コーナーにて振り返ってみる。すると
まだ10年代前半のカメラは冷却CCDではSBIGやFLIが殆どである。デジカメであればニコンの千番台、キヤノンは
十番台後半ときどき5Dといったところである。いまになって振り返ると、そもそも掲載作品数も少ない。

さて、フォトコンから離れて振り返る。10年代中盤になってくると、キヤノンでは6Dが席巻しはじめニコンでは
ついにD810からあの天文モデルD810Aが登場し、デジカメによる天体写真は画質も向上してきた。
私の友人、故酒力氏も2002年頃で天文を休止していた。すこし一般写真でデジカメはやっていたようだが、
D810A登場で天体写真に復活してきた。これは特殊例ではなかったであろう。とくにD810Aと(改造)6Dの
天体写真適性は、カムバック組の増加に大きく貢献したのではないかと考える。デジカメは00年代の急成長期から
10年台の中盤はすでにもう今と変わらない天文適性性能に達していた。その後さらに伸びたのは、動画適性くらい
と言っても過言ではなかろう。

冷却CCDは既に10年代入り口で既に性能的な到達点であったといえよう。しかも、それよりも前にデジカメや
携帯、スマホ搭載カメラがCMOSにスイッチしていたことにより価格低下は起きなかった。そのためコスト面と
移行のしやすさから10年代の前半はフィルム天体写真からの復活組の入り口はデジカメが多かったのかもしれない。
「CCDでいきなり天体写真参入」の障壁は10年代前半の画像処理環境では、技術的にもそうであるし、価格的にも
高かったといえよう。

架台では既に00年代から兆しはあったものの台湾・中国製の赤道儀が、安価で、高速自動導入も当然標準搭載で
開発され、大量に日本市場に入ってきた。しかも当初は安かろうとみられていたが、10年代に入ると性能も
国産にせまってきたうえ、そもそも機械性能が同等でなくてもセンサーとソフトウェア補正を効かせ、統合性能は
むしろ国産と同等で安い、という状況になった。またマーケも優れて日本製にはない機能が搭載された。

残念ながら、スマホ連携や、電子極望、ASI-Airのような無線化とスマホ・タブレットの組み合わせによる
手軽な制御は日本製ではなく中華製が先行してしまった、というより独壇場となってしまった。


極軸合わせ(電子極望)、自動導入、導入補正としてのプレートソルビングなどの技術が手軽に利用できるようになり、
これらの技術が入門者の壁取り払わられ、若手や新規参入者が天体写真入門がしやすい環境が整った。
フィルム時代のように数十分の1発勝負のガイドも必要なく、数分単位でスタックすればよい。環境によっては
しかもそれを自動でやってくれる。

そして、架台のみでなく、鏡筒も台湾・中国製の良質で安価な望遠鏡の参入が相次いだ。鏡筒の価格破壊も進み、
タカハシかビクセンかBORGか、くらいしかなくなっていた00年代後半から一気に選択肢が広まり、かつ手が届きやすい
価格で登場した。

撮影デバイスに戻ると、大量生産民生品の波が天文カメラにもやってきた。CMOSセンサーで天文用冷却CMOSカメラを
開発するメーカーが現れた。そもそもこれにより低ノイズのデジカメの登場にも貢献しているわけだが、そのデジカメで
量が稼がれているCMOSが、天文用冷却カメラに搭載が進んだ。これでもまた中国メーカーが台頭し低価格で入手
できるようになった。

残念ながら国内メーカーではこれらの市場で出遅れてしまった感は否めない。
20年台はもう半分を過ぎようとしているか、これからの巻き返しに期待したい。

既に上述で登場しているが、スマホやタブレットの寄与も大きい時代であったと考えられる。10年台はますます
安価に、広くこれらが普及した時代である。さらには、情報共有媒体の進化がこの年代の特筆事項であると考える。

SNSは日本では特に震災後一般にも広まっていった。Youtubeをみれば「○○のやりかた」のような情報も得やすく
なっていた。天体写真の画像処理の習得でもそれは例外ではなく、これまでのブログに加え、SNSによる情報交換や、
Youtubeでの情報提供によりこれまでの時代よりも加速度的スピードでノウハウが拡散・共有が進んだ。そもそも
ソフトウエアや機材の進化も早い時代になったから前時代のような媒体ではそもそもスピードは追いつかない。
紙媒体が主である天文雑誌からの第2の軸として、天文版Webメディアの「天リフ」の登場も、天文界の情報媒体の
変化の象徴である。


天文以外の領域では、スマホの高性能化と合わせ、SNS、インスタブームなどにより写真共有が一般化した。
デジカメも高性能化しているため、インスタ投稿の写真ファンが手軽に天の川も写せるようになったことで、
「元からの天体写真ファンが撮る星景写真」の向きではなく「一般写真ファンが撮る星景写真」が増えた。
一般写真ファンの星景写真からの天体写真参入(入門)も起こるようになった。


スマホの手軽加工であれ、デジカメのRAW現像であれ、一般人であっても「画像は処理(加工)するもの」の時代に
なったこと、PixInsgihtのような画像処理ソフトの発達、情報共有環境の充実が組み合わさり、
デジカメであれ冷却CMOSであれ、画像処理障壁が大きく下がったことも、この10年台後半の天体写真ファンの増大に
寄与したと考える。

この10年台はさまざまな環境因子が重なってデジタル環境が整った、奇跡の時期であった。

 

2020年代  コロナ禍によるリモート環境の充実・天体写真界と一般写真界の交錯・交雑加速
(もう、書くまでもないかもしれない・・・・)

 

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