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2024年3月

2024年3月20日 (水)

私の天体写真バカ狭い史 - CP+の道中から - その2 【完】のつもり

記事を切り替え、2000年以降のデジタル中心時代の2回目です。
これで10年台を加えたので、いったん完成のつもりです。

ひきつづき、

昔はよかった、と懐かしむものではなく、
 いまがいかに良い時代か
 みなさんよい時代に天文に入られたか
を伝えたい一心で書きます。

※勝手な時代解釈による歴史ですので、遊び心でみていただきたき、楽しんでください。
 正確性も求めていませんし、保証できません(笑) 違っていても「違うな」と
 ほくそえんで楽しんでいただきたく。

※私が物心ついて天文を知っているのは86年のハレー彗星以降です。60,70,80年代前半は、
 過去に聞いた伝聞や今回少々調べたことから想像で書きます。薄くなりますがご容赦を。
 90年代からは記憶と経験中心でそこそこ書けているはずです。

※ただし、00年代以降も、時期については記憶と独断の定義なのでざっくりで最大5~年
 くらいの誤差があるかもしれません。

※機材などについては、民生用というか庶民が手に入ったもの、の視野で書きます。

Fig1_20240302022901


2000年代  アナログ・銀塩の終焉・デジタル混沌の時代 - デジタルデバイドでの選別 -


デジタルの技術革新著しく、機材投資疲れの時代・しかし今の礎がほぼ完成


90年代に登場したデジタルカメラはコンパクトカメラから置き換わり、00年代半ばにかけ、
コンパクトカメラだけでなく、一眼レフも低価格化した。そのため一般写真界でデジタルカメラへの
移行が加速した。

天体写真界では00年頃にかけSBIGをはじめ、国内メーカーでも冷却CCDが充実しはじめた。しかし
まだCCD撮像も画像処理もハード・ソフトともに障壁が高い状態であった。そのため、研究職など
理論から技術を理解できる方や、IT職に近い方のフィルムから冷却CCDの移行が先行した。まだ
デジカメのノイズが大きく冷却CCDに特に画質でアドバンテージがあった。2010年代半ばにかけ、
デジカメと二分しての冷却CCDによる天体写真の最盛期を迎えることとなる。
国内では90年代後半でアストロアーツからステライメージがリリースされており、冷却CCD画像
処理から、画像処理のスタンダードソフトとなっていた。

2000年代はPCが低価格化して殆どの過程に普及した、ネット環境もアナログモデムからADSLへ移行し
高速化した。ネット掲示板や個人ホームページのブームも起こり個人間での情報共有が簡単にできる
ようになった。00年代中盤にはブログや国内ではmixiなどからSNSサービスもはじまった。

さまざなまホームページが充実し情報も得やすくなった。またネットショップも拡大した。
天文ショッブは、ネットショップサイトが運営できるショップとできないショップで、勢力の
入れ替わりが起り始めていた。

冷却CCDではほぼモノクロが主流となったため、カラーフィルムからの移行の躊躇が大きかった
理由の1つと推測する。そのため、フィルム時代からの天体写真ファンの多くはまだ00年頃は
中版フィルムカメラでの撮影がメインであった。しかし、一般写真界でのデジタルカメラ移行が進み、
カメラメーカーのフィルム機の生産中止、フィルムの製造中止の発表が相次ぐようになってきた。

そのためフィルム天体写真ファンもフィルムからの移行障壁の低い(カラーである)デジタルカメラへの
移行が進むようになってきた。ただし、ステライメージをはじめ、天文用画像処理ソフトの
デジタルカメラ対応が冷却CCDより遅かったために、デジカメでの天体画像処理は混迷を極めた。
フラット・ダーク処理専用ソフトや、Raw現像ソフト、レタッチソフトとの組み合わせなど様々な
流儀が発生した。


そのため、そもそも冷却CCDであっても、デジカメであってもPCが苦手、デジタルが苦手、あまり
好きではないという方々はフィルムから冷却CCDやデジタルカメラへ移行せずに天体写真から
フェードアウトする方々も多かった。

私はこれを「デジタルデバイドによる選別」と呼ぶことにする。いま60~80代でフィルム時代から
天体写真を行っていてデジタル移行せずに天体写真を止めてしまった方は多かった。


また、デジタルカメラでは素子や処理エンジンの更新は著しく1,2年で陳腐化する状態。世代が変ると
著しくノイズ特性が向上していったため、デジカメの買い替えで疲弊しがちであった。さらには
デジタル化による解像度UPで、フィルム時代のカメラレンズや望遠鏡の多くが性能不足となり、
買い替えが必要となり、カメラ以外の投資も嵩む時代となった。

架台はほぼ自動導入が標準となってきていた。また00年代後半にはPCソフト制御による低価格の
オートガイダーが登場するようになった。

ただしまだスマホの普及前であったし、天体写真界では天文専用PCソフトか、ハードでの自動導入
こそあれど、プレートソルビングなどは普及していなかった。そのため、フィルム時代に比べ、
数分から数十分露光のスタックとなり撮影成功率が上がったが、まだ露出時間の最長トレンドは
デジカメでトータル2時間程度、冷却CCDでも数時間であった。


そして、経済面では、まだ現在のように望遠鏡と赤道儀が、台湾や中国製が跋扈して低価格化して
いない時代であった。若手は就職氷河期世代であった。そのため、いま40代程度の当時の若者が学生、
社会人で天体写真をはじめるにはコストが見合わなかった。

また、上記の通りデジタル移行できなかった当時40~60代、現60~80代の方が天体写真から引退したため、
天体写真撮影者が一旦少なくなった時代であった。

90年代やまた近年賑やかなスポットへ新月期に行っても人は殆どいなかった。
天文界の天体写真ファンは減り増えもしなかったし、まだデジカメの性能が低かったから
「一般写真(デジタルカメラ)界からの星景写真」ブームもまだ始まってはいなかった。


だだし振り返れば、今とレベルの差こそあれ、
冷却CCDカメラ、低価格なデジタルカメラ、自動導入の普及、PCソフトによる低価格のオートガイダー、
天文専用画像処理ソフトの普及、PCの低価格化、高速インターネット環境、
SNS、Youtubeサービス開始、携帯のネット接続と山間部での電波環境改善、リチウムイオン電池の普及
など現在につながる技術の殆どがこの時代に生まれている。

 


2010年代  デジタル安定期・情報の拡散   - 若手や新規者の参入、カムバック組登場-

冷却CMOSカメラ普及・海外製品拡大で低価格化/選択肢増・スマホ登場/SNS情報共有速度加速

いよいよ現在の10歳台でもなければ、「最近」と言ってもいい時代に入る。
この時代の天文雑誌なら物置でなくまだ本棚に並んでいる。

そこでフォトコンを語るつもりはないとはいえ、久しぶりに雑誌の天体写真コーナーにて振り返ってみる。すると
まだ10年代前半のカメラは冷却CCDではSBIGやFLIが殆どである。デジカメであればニコンの千番台、キヤノンは
十番台後半ときどき5Dといったところである。いまになって振り返ると、そもそも掲載作品数も少ない。

さて、フォトコンから離れて振り返る。10年代中盤になってくると、キヤノンでは6Dが席巻しはじめニコンでは
ついにD810からあの天文モデルD810Aが登場し、デジカメによる天体写真は画質も向上してきた。
私の友人、故酒力氏も2002年頃で天文を休止していた。すこし一般写真でデジカメはやっていたようだが、
D810A登場で天体写真に復活してきた。これは特殊例ではなかったであろう。とくにD810Aと(改造)6Dの
天体写真適性は、カムバック組の増加に大きく貢献したのではないかと考える。デジカメは00年代の急成長期から
10年台の中盤はすでにもう今と変わらない天文適性性能に達していた。その後さらに伸びたのは、動画適性くらい
と言っても過言ではなかろう。

冷却CCDは既に10年代入り口で既に性能的な到達点であったといえよう。しかも、それよりも前にデジカメや
携帯、スマホ搭載カメラがCMOSにスイッチしていたことにより価格低下は起きなかった。そのためコスト面と
移行のしやすさから10年代の前半はフィルム天体写真からの復活組の入り口はデジカメが多かったのかもしれない。
「CCDでいきなり天体写真参入」の障壁は10年代前半の画像処理環境では、技術的にもそうであるし、価格的にも
高かったといえよう。

架台では既に00年代から兆しはあったものの台湾・中国製の赤道儀が、安価で、高速自動導入も当然標準搭載で
開発され、大量に日本市場に入ってきた。しかも当初は安かろうとみられていたが、10年代に入ると性能も
国産にせまってきたうえ、そもそも機械性能が同等でなくてもセンサーとソフトウェア補正を効かせ、統合性能は
むしろ国産と同等で安い、という状況になった。またマーケも優れて日本製にはない機能が搭載された。

残念ながら、スマホ連携や、電子極望、ASI-Airのような無線化とスマホ・タブレットの組み合わせによる
手軽な制御は日本製ではなく中華製が先行してしまった、というより独壇場となってしまった。


極軸合わせ(電子極望)、自動導入、導入補正としてのプレートソルビングなどの技術が手軽に利用できるようになり、
これらの技術が入門者の壁取り払わられ、若手や新規参入者が天体写真入門がしやすい環境が整った。
フィルム時代のように数十分の1発勝負のガイドも必要なく、数分単位でスタックすればよい。環境によっては
しかもそれを自動でやってくれる。

そして、架台のみでなく、鏡筒も台湾・中国製の良質で安価な望遠鏡の参入が相次いだ。鏡筒の価格破壊も進み、
タカハシかビクセンかBORGか、くらいしかなくなっていた00年代後半から一気に選択肢が広まり、かつ手が届きやすい
価格で登場した。

撮影デバイスに戻ると、大量生産民生品の波が天文カメラにもやってきた。CMOSセンサーで天文用冷却CMOSカメラを
開発するメーカーが現れた。そもそもこれにより低ノイズのデジカメの登場にも貢献しているわけだが、そのデジカメで
量が稼がれているCMOSが、天文用冷却カメラに搭載が進んだ。これでもまた中国メーカーが台頭し低価格で入手
できるようになった。

残念ながら国内メーカーではこれらの市場で出遅れてしまった感は否めない。
20年台はもう半分を過ぎようとしているか、これからの巻き返しに期待したい。

既に上述で登場しているが、スマホやタブレットの寄与も大きい時代であったと考えられる。10年台はますます
安価に、広くこれらが普及した時代である。さらには、情報共有媒体の進化がこの年代の特筆事項であると考える。

SNSは日本では特に震災後一般にも広まっていった。Youtubeをみれば「○○のやりかた」のような情報も得やすく
なっていた。天体写真の画像処理の習得でもそれは例外ではなく、これまでのブログに加え、SNSによる情報交換や、
Youtubeでの情報提供によりこれまでの時代よりも加速度的スピードでノウハウが拡散・共有が進んだ。そもそも
ソフトウエアや機材の進化も早い時代になったから前時代のような媒体ではそもそもスピードは追いつかない。
紙媒体が主である天文雑誌からの第2の軸として、天文版Webメディアの「天リフ」の登場も、天文界の情報媒体の
変化の象徴である。


天文以外の領域では、スマホの高性能化と合わせ、SNS、インスタブームなどにより写真共有が一般化した。
デジカメも高性能化しているため、インスタ投稿の写真ファンが手軽に天の川も写せるようになったことで、
「元からの天体写真ファンが撮る星景写真」の向きではなく「一般写真ファンが撮る星景写真」が増えた。
一般写真ファンの星景写真からの天体写真参入(入門)も起こるようになった。


スマホの手軽加工であれ、デジカメのRAW現像であれ、一般人であっても「画像は処理(加工)するもの」の時代に
なったこと、PixInsgihtのような画像処理ソフトの発達、情報共有環境の充実が組み合わさり、
デジカメであれ冷却CMOSであれ、画像処理障壁が大きく下がったことも、この10年台後半の天体写真ファンの増大に
寄与したと考える。

この10年台はさまざまな環境因子が重なってデジタル環境が整った、奇跡の時期であった。

 

2020年代  コロナ禍によるリモート環境の充実・天体写真界と一般写真界の交錯・交雑加速
(もう、書くまでもないかもしれない・・・・)

 

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2024年3月 2日 (土)

私の天体写真バカ狭い史 - CP+の道中から - その1

 前の記事のように、先日CP+に久しぶりに行きました。

今回はさまざまな人と交流しました。そして意気投合し、夕方に会場から食事に向かう
道中で、ほしぞLoveログのSamさんと、あぷらなーとさんと会話をしていました。
そのとき、いまのこの天体写真環境の有難さ、について会話が至りました。

またあぷらなーとさんも、私も2000年頃は天体写真疲れをしていて、なぜだろう、と
意見交換しましsた。

その瞬間、その理由と現在の技術につながる年表が頭の中にぼんやりとでもビビッと
浮かびました。

それを本当に年表にしてみようと思いました。ここでまとまりましたので
年表を公開すると共に、持論を展開しようと思います。今回はその1回目です。

昔はよかった、と懐かしむものではなく、
 いまがいかに良い時代か
 みなさんよい時代に天文に入られたか
を伝えたい一心で書きます。

この1回目はまだ記事が90年にも至っていませんが、年表の青文字を見ると、いかに
いまの技術はまだ20年程度のホヤホヤで、いろんな分野が結びついて加速度的にこの
10年は天体写真趣味環境が急発達したことがご理解いただけるのではないでしょうか。


※勝手な時代解釈による歴史ですので、遊び心でみていただきたき、楽しんでください。
 正確性も求めていませんし、保証できません(笑) 違っていても「違うな」と
 ほくそえんで楽しんでいただきたく。

※私が物心ついて天文を知っているのは86年のハレー彗星以降です。60,70,80年代前半は、
 過去に聞いた伝聞や今回少々調べたことから想像で書きます。薄くなりますがご容赦を。
 90年代からは記憶と経験中心でそこそこ書けているはずです。

※ただし、90年代以降も、時期については記憶と独断の定義なのでざっくりで最大5~10年
 くらいの誤差があるかもしれません。

※機材などについては、民生用というか庶民が手に入ったもの、の視野で書きます。


では、はじめましょう。

Fig1_20240302022901


1960年代 天体写真趣味の黎明期・限られた人間だけの名人芸


機材においては、国内メーカーはまだ少なく、タカハシとビクセンの望遠鏡販売開始も
記録によれば60年代後半。そして庶民にとって高価だったはず。ほとんどの人は安価で
低性能(失礼)な望遠鏡やそれを改造したり、自作したりして天文趣味を行っていた。
買って手に入るのは10cm以下の小口径屈折、大口径がほしければ鏡を磨くなり
パーツを買うなりで組み立てていた。(のだろうか)

フィルムはモノクロ中心であった?モーター付き赤道儀はまだ販売はなく、望遠鏡の
背中にカメラレンズを載せ、望遠鏡の十字線からガイド星が外れないうに赤道儀の
赤経ハンドルを回し続ける「手動追尾」を行っていた。到底長時間露光は不可能。
天体望遠鏡での直焦点撮影はほんの限られた人物のみが行えていたと考えられる。

しかし、まだ郊外の光害まだ今ほどではなかったはず。自家用車もまだ手に入れにく
かっただろう。都心住まいの人以外は、庭先で撮影などのスタイルであったのではな
いだろうか。そもそも、週休2日の一般化は90年代である。そうそうサラリーマンでは
遠征などできるものではなかった。(のではないだろうか。)

モノクロ天体写真の現像・プリントなどは自分で行われていた。(のだろうか。)

天文ガイドは既に60年代で創刊されているので、天文趣味人口もそれなりにいたはずで
私にとっては謎多き時代である。

 

1970年代 天体写真の発達期・天文少年多数誕生?

天文少年の多数発生? 天体写真趣味の拡大期・光害の拡大で天文が趣味化?


このころ多数の天体写真関連の名著が登場している。藤井旭氏の「天体写真の写し方」や
古田氏の「写真で見る小宇宙」など。天体写真以外でも藤井氏の天文書籍も多い。
この時代になると藤井旭氏の本にもタカハシや五藤の望遠鏡が登場する。高価ながらも
既製品が手に入りやすい時代になっていたようである。また天文ガイドでは自作パーツも
多数広告があるので、自作も可能で活発であったことがわかる。

"水晶発振"の"モータードライブ"が登場しているが、高価であったためであろう、まだ
書籍でも使用は半々のような記述である。まだまだ天文少年は手動ガイドであったろう。
しかし雑誌の天文コーナーでは中年層がメーカー製の10~20cm程度の「反赤」で入選
している。豊かな時代に入ってきた証であろう。

フィルムにおいては天文用の103aシリーズが登場しており、いま見ても粒度は別として
103aEの作例ではHαがよい写りをしている。またカラーフィルムの登場によりカラー
撮影も始まっていた。

64年は東京オリンピックで光害が70年代が郊外に拡大した。星空が貴重化したことが
逆に趣味化したのではないか。学生は電車で登山遠征スタイルで。
乗用車が手に入れ易くなってきた時代である。社会人は車で遠征することも増えて
きたであろう私の父もこの時代に初めての車を買っていたようだ。

機材はタカハシやビクセン等が良質な小型機を出していている。このような機材を
東京近郊の人間が、車に積んだり、背負子に縛り、撮影に出かけた。
また地方の人はまだ自宅前で撮影できる環境であっただろう。

この時代の天文少年はいまは60~70代である。

 

1980年代 バブル・ハレー彗星・天体写真趣味の拡大

カラーフィルムの充実高感度化・光学系の多品種/高性能化・架台の電動化


70年代天文少年は就職し、バブルで景気も良く機材も手に入れ易かったのではないだろうか。
また80年代もハレー彗星という天文イベントにより、天文少年が発生しやすい環境であった。
(私がそう)

天文誌を見れば、タカハシ・ビクセン・ペンタックス・ニコン・ミザール・五藤・ケンコー
などなど、多数のメーカーが並ぶ。また屈折においてはカメラから側から入ってきた
EDレンズや、フローライトが使用されたアポクロマート、これまでの眼視向けであった
F10~12前後から、写真用を意識したF6~8程度が登場した。ペンタックスからはあの
105ED-UF(F4)名筒も出たのは象徴的である。

ビクセンはこの時代に既に自動導入スカイセンサーを発売していた。
ハレー彗星のときに使っている人を見たのは衝撃であった。
この時代の勢いのまま、いまのデジタル化を国内メーカーがけん引できていたら。

フィルムはハレーブームと同時期にコニカからGX3200などが発売された。荒かった・・
オートガイダーはまだない時代。長時間ガイドの難しい初心者には味方であった。しかし
この時代はフォトコンも充実してきたた時代である。高画質を追うマニアは低感度フィルムで
長時間ガイド(といっても1時間程度)を行ってていた。追尾はモーター任せにでき、
ガイド鏡の十字線を覗き、ガイドエラーを赤道儀のコントローラーボタンで修正するスタイル
である。(「電動ガイド」)

一般化したカラーフィルムに対し、モノクロ撮影はトップアマチュア向けの世界となり、
モノクロ撮影は、水素増刊TP2415によるものが席巻した。

一般写真でもコンパクトカメラや、一眼レフもAE,AF技術が入り、誰でも撮れる時代であった。
スーパーの片隅にもDPEの写真屋がいるような状態で後半には45分同時プリントなども充実
した。トップアマチュアはモノクロ・カラーとも自家現像、自家プリントを行った。しかし、
入門者も理解と腕のあるDPE店にあたれば、天体写真をすぐに現像プリントしてもらえる
環境にもなった。

天文人口増の結果としてか、スカイウオツチヤー誌の創刊もこの時代である。天文雑誌からも、
それ以外からもハレー臨時号なども多数発刊された。天体写真人口も増加し書籍では
「天体写真テクニック」も発売されている。

天文ショップも増加した。特に天体写真志向の店が出たのが特徴で「アトム」はその象徴である。

バブルまっ最中。光害はほぼ今と同レベルまで達した。
フィルム時代は光害に対抗は暗い空に行くしかない。バブルで車も若者も手に入りやすい。
郊外に延び続けていた高速道路で遠征スタイルが標準化してきた。
(しかし中央道や東名はほぼ現状であるが、まだ関越道は80年代後半でも藤岡までの時代だ)

なお、ごく一部のマニアはPCを入手しはじめていた時期である。


1990年代 銀塩天体写真の黄金期・オートガイダー登場で長時間露光時代

長時間撮影向け機材、中版フィルム向け望遠鏡、パーツが充実
パソコン普及(Win95)・インターネットが個人へ・携帯の普及・「電子暗室」「CCD元年」の言葉も登場


ここからは自己体験があるので急に詳しくなります。
ちなみに、過去にも90年以降のストーリーのある時期があります。

回顧録   http://morio.way-nifty.com/blog/2018/10/post-1472.html
浄土平と私 http://morio.way-nifty.com/blog/2019/08/post-7fbc9f.html
すばらしい天体写真仲間物語 シリーズ(1)-(5)  http://morio.way-nifty.com/blog/cat24145937/index.html

90年代は銀塩天体写真の黄金期。前半はバブルの最高潮の時代である。
現50代の方が学生から社会人に、90年代前から天文をやっていた方は脂がのり、経済的にも豊か、
国内メーカーからは天体撮影志向の鏡筒や赤道儀が多数発売された時期でそれを手に入れ易かった。
メーカー製にない、その穴を埋める天体写真撮影用のグッズも、天文「ショップオリジナル」として
多数出現した。

今後のCMOSの行方を占うことの参考にもなるが、高画質を求め35㎜版から6x7, 6x9版
フィルムでの撮影も盛んになっていった。

直焦点には不要なミラーやプリズムがあるマミヤやペンタックスの中版カメラでは扱いにくく、
コスト高であるため、「アストロカメラ」などがショップオリジナルで発売された。ピント確認用の
「ピントテスター」であるとか、ガイド用のガイド鏡や、ガイド鏡にガイド星を導入するための
ガイドマウントなども発売された。

フィルム全盛の時代である。フジ、コニカ、コダックからさまざまなカラーネガ・ポジが発売された。
しかしフィルムは相反則不軌が大きいため感光効率が悪い。1カットでの長時間露出が必要であった。

そこで、最も大きい天文機材の変化は変化はオードガイダーの登場である。代表的な製品は、SBIG社の
ST-4である。登場し始めた冷却CCD(小さかった・・)でガイド星を専用コントローラーで制御した。
オートガイドの登場で、体力の限界から解放され露出時間が飛躍的に伸びることとなった。
数時間級の露出が可能となった。その代わりまだ望遠鏡など機材の剛性が追いついておらず、アマチュア
自らのノウハウと加工で補強するよりなかった。

その強度の点でも屈折鏡筒が有利であるため、ED,SD,フローライトレンズの撮影を意識した高性能屈折が
多数発売された。またF数が明るければ当然有利であるため、タカハシのεシリーズ等も人気を博した。

フィルム撮影で数時間露光の時代である。その間に飛行機や人工衛星が通過したらせっかくの撮影が無駄に。
またガイドエラーでの失敗も、帰宅後に現像して気づくことも多かった。

モノクロであれば水素増感TP2415.6415に、自家現像とプリント、カラーフィルムもネガであれば自家現像や
ポジやプリントでであればプロラボへの持ち込みが多かった。

90年代後半になると、低速ながらもまずは後付けのサードパーティー自動導入装置が発売されはじめ、
これを追ってメーカーも赤道儀自体に自動導入を搭載しはじめた。はじめは専用ハードであったが、
Win95登場によりPCが普及し、ステラナビゲータ―やTheSkyなどでPC連携制御ができるようになって
きたことも寄与したと考えられる。

上述の通り、周辺では95年にWindows95が発売され、一般家庭・一般人にPCが浸透しはじめた。
一般家庭でもすこしずつインターネット環境が入るようになってきた。ただしまだアナログモデムから、
90年代後半にISDNが入った程度である。またPHSから携帯が普及し、90年代最後にはカメラ付きや
メール機能が搭載された。しかしまだ携帯電波は都市から郊外までであった。

長時間露光が可能となったらめ、より光害を避ける必要があり、主要高速道路がほぼ現在の形になって
いた時代であるから、都心から通い標高が高く暗い夜空を求め関東では甲信の山々へ遠征が主流であった。

通信環境はごく一部のマニアが前半からでパソコン通信、後半でネットの掲示板が登場してきた程度である。
天体写真撮影に関する情報は、天文誌の記事や、最優秀賞者のインタビュー、天文ショップや、遠征先での
交流が主であった。

天文イベントでは、木星軌道外で発見され期待されたHBが期待そのままに超大型彗星に。しかしHB彗星
最接近前に、それこそ彗星のように現れた大彗星、百武彗星。天文イベントにも事欠かない年代であった。

メインストリームは銀塩であったが、2000年が近づくと上記の通りPCが普及していた銀塩フィルムを
フィルムスキャナーで読み込み、主にフォトショップで画像処理も行われるようになってきた。
天文ガイドは「電子暗室」と命名。また、CCDが民生用に入り始め天文でも冷却CCDが登場してきた。
まだメガピクセルでもすごい、の時代であったが、特にIT系や研究職の方から浸透しはじめた。
天文ガイドも「冷却CCD元年」などのタイトルの記事も打つようになっていた。

またデジタルカメラもコンパクトデジカメが登場してきた。
デジタル化への流れがはじまりつつあった。

 

2000年代  アナログ・銀塩の終焉・デジタル混沌の時代 - デジタルデバイドでの選別 -

デジタルの技術革新著しく、機材投資疲れの時代・しかし今の礎がほぼ完成

<つづく>

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