すばらしい天体写真仲間物語 (5)
書き終えたくないような気分ですが、年末でひとくぎりと区切りとしたく。
HHさんとの20年来の思い出の後半、第2章のこの3年間の思い出。
とりとめもなく書き残していますが、私にとってとても大切な思い出です。
一周忌ころまでには、きれいに書き起こしなおしたいと考えています.。
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時は流れ、もう2つ折り携帯など遥か昔になって、スマホの時代になっていました。
2015年8月16日の夏休み最終日、その日が13年ぶりの再会となりました。
13年の間、一度だけMR氏のお店で会ったことはあったものの、結婚前の忙しい中でMR氏と彼にちょっと結婚の報告をしたくらいだけでした。
この13年の間に、私は独身から父となり、
天文写真界はフィルムから完全にデジタルへ、
MR氏の店は閉店、
他の天文ショップもデジタルやネットに対応した店とそれに遅れた店で明暗が出て、都内ではその明るい店の方は”秋葉原勢”に移っていました。
私の撮影は浄土平を中心に続け、充実していました。独身の間は月2回の遠征をし、福島の皆さんにも暖かく遊び相手になっていただきました。しかし、家庭を持ったため、ちょっとアクティビティは落ちていました。2011年の震災の混乱もありました。そして、冬は浄土平が閉鎖で、関東の星仲間は引退していたため、冬の撮影はすっかりしなくなっていました。
13年前は2つ折り携帯とキャリアメール、ネットはHP作成や掲示板交流がメインでしたが、スマホに置き換わり、SNSが便利で楽しいし、ネットもブログ中心に変わっていました。
(と、いってもSNSを使いだしたのは彼に誘われ再会後でした、、)
13年ぶりの待ち合わせは秋葉原、
少し緊張していたのを覚えています。はじめに何と言おうか、、、。
ヨドバシの改札で、とメールで待ち合わせをしていましたが、混んで見つからず、
「着いたけどいまどこ?」
と電話しました。
するとヨドバシの前の信号ですぐわかる懐かしい顔が。
あまり変わっていません。しかし、遠くから見ても、以前の柔道で鍛えた"格体いい感じ"から、"大きい感じになったんでないか?"へとと成長していました。
「お~!!! 超久しぶり~」
と言葉を交わし合い、
「どこ行く?」
となりました。
暑いしビールが呑みたいということになり、銀座ライオンへ。
身の上話は仕事の状況や家族の状況を少々。すぐ天文界、天体写真の今昔話です。彼はとにかく最近のデジタルの機材と撮り方に興味津々で、前向きにあれやりたい、でもどうすれば?という話ばかりで盛り上がりました。
その後、ほろ酔いでスターベースやヨドバシを覗きました。
スターベースでは20年前の彼の入選作のあるスカイウォッチャーのバックナンバーを見つけ、彼は喜んで買いましたっけ。
特に次どうするの約束をするでもなく、「またね」で別れました。
まだLINEもしてなかった頃、メールで時折連絡が続きました。
当時10月なら定期的に遠征に出ていた私は、
2015年10月12日の日曜夜に月曜に代休があったので遠征を計画していました。
彼とスケジュールが合って、13年ぶり?の遠征をしようということになりました。場所は近場で、ということで富士山新五号に現地集合にしましいた。私はいつものフル装備、彼は唯一の天文機材のスカイメモと、カメラレンズで臨みました。
私はちょうど冷却6Dを導入したばかり。セッティングに戸惑い、ワイワイ。23時くらいから曇って結局また晴れたのは薄明開始前1時間だけ。撮影自体は私も彼も不完全燃焼でしたが、13年ぶりに撮影地で他の方の機材を見て、昔のタカハシ、ペンタックス、一辺倒の時代から、海外製も含め様々な新しいメーカー、コンセプトの製品を目の当たりにして、大きな衝撃を受けたようでした。
2015年11月14日今度は遠征ではなく秋葉原で合流。
富士山で衝撃を受けた彼は、たぶん機材の物色だったんでしょうね、三基や協栄、シュミットを回り、鏡筒や特に赤道儀を熱心に見て回っていました。
そういえば、CEM-60とFSQ-106を特に気にしていましたねぇ、、、、。
私もお供して、なぜか彼の持っていたのとお揃いの、エクスペリアタブレットを衝動買いして帰ってきました。
2015年12月13日は秋葉原で合流。ヨドバシカメラや天文ショップを覗きました。
おそらく、彼は私にだまっていましたが、ここでもうFSQ106とCEM60に心を決めていたようです。
私はこの日は車移動たっだので、そのまま車でヨドバシ秋葉から中野のフジヤカメラへまで私の車に乗せました。
が、リクライニングさせるのも苦しそうで、さすがに体重はちょっと大丈夫なのか?と心配がよぎってはいました。
フジヤカメラを覗いた後昔のようにルノアールのコーヒーで機材談義をしました。
この一週間くらい後、FSQ106とCEM60を注文した宣言を突然彼がしたため、度肝を抜かれましたね。この機材から復活するかーと。
そして年明けの2016年1月10日、花立公園に遠征しました。
この日は昔からの仲間、宇都宮で近所でもあるYさんも合流。天気も良好。昔話や近況で地味に盛り上がりました。彼は、FSQ106とCEM60のデビュー、使い方がよくわからねぇとワイワイ。私は、オートガイダーが寿命を迎えたのか、壊れワイワイ。写真は誰もまともに撮れませんでしたが、楽しくやりました。
そしてこのあたりから私も彼に釣られはじめ、
2月には一人でスターベースに寄り、FS-60Cの撮影用セットを衝動買いしています。
2016年3月13日にはまた天文ショップまわりと2人でしました。
この日はオードガイダーやパーツ周りをみましたかね。
これでオートガイダーも決まり、ほぼ彼の機材セットは完成に近づいたような。
2016年5月4日は八ヶ岳の八千穂に出ましたが、彼とは都合が合わず、一人でした。
天気は良かったのですが、風が強く、撮影中も家にいる彼とLINEで23時くらいまで
ずっと情報交換していました。
2016年8月5日には彼に誘われ、初めて天城高原へ遠征しました。
彼がyoutubeで下調べしていたので、道中のコンビニやらまでリサーチ済みで情報をくれました。初めてのところだし夏に低い山はあまり気が乗らないなぁとは思いましたが、彼の誘いなので乗ってみました。
この遠征は最後となってしまった浄土平遠征とおなじく「なにかすごく新しいこと」が始まった感じがした夜でとても印象に残っています。
そのため、初めて(で最後となってしまった)の昼間の記念写真らしきものも撮りました。
しかも何故か今の機材で夏の成果のほとんどはこの夜のものを超えていません。
ちょうど彼のFSQ106とCEM60のセットが順調に立ち上がりつつあるところで彼のテンションもだいぶ高めでした。準備中は昔も彼はそうでしたが、箱を開封し取説を読みながらセットアップ、虫に刺されながらわいわいやりました。夜も夏休みなのに彼と私くらいしか居なくて、夏の夜空を独占気分。私は一夜で帰りましたが、彼は連泊したような記憶です。。
2016月10月9日は戦場ヶ原へ。
この日は彼は昔からTwitterをやっていてそのフォロワーのNさんもたまたま同じ場所に向かっているということ。Nさんとも合流し、
撮影することに。Nさんはまだ二十歳、彼は昔のままずいぶん面倒見が良い?懐が深いんだなぁと少々関心しました。残念ながら天気はいまいちで一晩中、語り明かしました。
ちょうどこの後、私も彼に誘われTwitterアカウントを取って彼を中心に絡み始めました。
これから後のことはTwitterのフォロワーさんならばご記憶にあるかもしれません、、。
2016年はその後、11月、12月と、年末に私は遠征していますが、
彼と日程は合わず、一人遠征でした。
年末の朝霧には1日違いで行き私は曇り、彼は晴れで悔しかった!
この年末はちょうど新月前後で年始も撮影可能で、彼は年明けにも天城に行くと宣言、私も行こうとしたら年末年始の休みに2回も行くなと家内に酷く叱られましたっけ。
彼のせいですね・・・
2017年の彼との初遠征は2月25日の天城高原でした。
ちょうどその一週間前、スキー帰りに追突事故に遭い、車は修理中だったのですが、代車で遠征を予定通り決行という、どれだけ彼の影響で狂っていたか、という象徴的な遠征です、、、。
この夜の天城は賑わっていました。私もTwitterを始めてしばらくたち、知ってる方も増えてきていました。人見知りの私ではありますが、彼が間に入ってくれていることもあり、少しづつ仲間が増えるきっかけになった遠征でもありました。
この夜のさそり座アンタレス付近を撮るとき、
彼は構図がわからねぇ
と言って私が導入、撮影は彼、という昔ながらのいい加減さがすごく良い思い出の夜でした。
2017年4月29日GWの初日も天城高原で彼と合流しました。
機材を組んだ後で夕方に雨が降りましたが、その後回復。この夜も快晴でした。連夜遠征して機材を雨に晒した昔が懐かしいななどと話もしましたっけ。彼のオートガイドシステムもほぼ立ち上がり、彼は絶頂に向かいつつありました。
またここの間で彼がD810Aの2台めを買った影響で、私は2台めの6Dとレンズを衝動買いしていました。
ただし、このカメラとレンズが、私にとっての彼の最後の姿を撮ることになるとは予想もしていませんでした、、、。
2017年8月26日は彼に浄土平に行くよと告げ、私は出発し到着しました。
彼はこの頃から毎月のように天城に出かけていて、
「サラダチキンを買いにでたら修善寺に着いた」
をネタに修善寺のコンビニの写真を上げて、遠征していました。この日は彼はどこへ行くのかな?と思っていたら、いつもとは違うコンビニの画像があがりました。
もしや、と思うと、浄土平に彼の車が現れました。
彼にとって13年ぶりくらいの浄土平。夜まで、福島の方々とひさしぶりだなぁと盛り上がり、夜を迎えました。
天気はいまいちでしたが、昔の場所に機材を広げとりあえず撮影しました。
なぜか、この夜はワイワイ、というより久しぶりでしんみりしていたんでしょうか。なんとなく静かに撮影していたような気がします。
久しぶりで、これから新しいことがまた始まる、、、とうれしかったのでしょう。
私は撮影している彼のシルエットを撮影していました、、、。
天気あまりさえないまま朝を迎えました。昔の私なら独身だったので昼間でいましたが、
今はそうもいかず、先に帰るね、の一言を彼に伝え、別れました。
これが最後に直接交わした言葉になってしまいました。
この年末も彼との日程が合わず、1日違いでの遠征などになってしまいまいた。
彼はこの秋口は月に2回とか遠征し、写真のレベルもどんどんあがり4時間露光とかをモノにし始めていました。
年が明け2018年。
直接会うことはなくとも、SNSで彼とはちょくちょくやり取りしていました。今年の2月は特に忙しくなるから遠征できなさそう、と言っていた通り2月に入ってSNSでのやりとりも少し減りました。
しかし、ふと2月23日を最後に音信がないことに気づきました。
でも忙しいと言っていたから、あまり連絡をとっても邪魔かな?3月末になればまた出てくるだろう、と思っていました。
しかし、勇気を出して3月1日にメッセージを送っても一向に既読がつかないので、これはなにかおかしい、と感じ始めていました。
3月14日深夜でした。久しぶりにPCを立ち上げ、メールを受信しました。
最近はSNSばかりでほとんどメールなど来ません。
件名の中に、彼の名前と急逝の文字がありました。
頭から血の気が引くとも、のぼるともわからない、感覚が走りました。
そして次第に、心拍が上がりました。
ひさしぶりのFさんからのメールでした。
彼の弟様が天体写真関係の繋がりへのコンタクトを試みられてくださっていたため、天体写真繋がりで私のところへもメールで訃報が届いていたのです。
2月24日に亡くなったとのことですが、その3日後には私のところで既にメールをいただいていたのです。
しかし私にとってはその日に起こった出来事。
信じたくなく、あちらこちらできる限りの連絡手段から弟様へのコンタクトを試みました。
動転しいたため、彼の痕跡を無くしたくないということでいろいろな方にログなどを残せないか、と質問をしたりしていました。Twitterのフォロワー様にはだいぶ助けていただきました。
この夜はまったく眠ることはできませんでした。
半分泣きながらスマホに向かい、あちこちコンタクトをしていました。
翌日も仕事になはりませんでした。
翌昼前には弟様と直接連絡がつき、
信じたくない訃を受け入れなくてはならなくなりました。
その後何日間か、楽しい思い出をみなさんと語っていると、
また遠征地に行けば会えそうな気がして少し気分が落ち着いてきました。
彼の置き土産として、天文仲間が増え、語り合える方々も増えていました。
彼と、人見知りの私にお声をかけてくださった、みなさまにもお礼いたします。
そんな気持ちが少々落ち着いた後日、また大きなお土産が。
彼は4月発売の天文ガイドに13年ぶりの入選をしていました。
亡くなってから入選するなんて、本当にすごい人でした、、、、、。
うまく書けない。
出会って、
いろいろなことを学ばせてもらって、
一緒に過ごさせてもらって、
天文と通じて私の人生の大きな軸になってくれて、
ありがとう、としか言えない。
これからも星を見続けます。
遠征地で別れたから、また遠征地で会えると思っています。
おいらは地上から遠征地に行かせてもらうよ。
またよろしくね。
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