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2018年4月16日 (月)

すばらしい天体写真仲間物語 (2)

引き続き、彼との楽しい思い出です。

90年代の天体写真界の懐かしい周辺の話題も思い出しています。


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1990
年代の後半から2000年代の入り口は、フィルム天体写真の黄金期、絶頂を迎えていました。天文イベントとしては、ヘールボップ彗星や百武彗星の2つの彗星と、ダストトレイル理論で予報精度があがり2度楽しめた、しし座流星群の盛り上がりが。

天体写真では1992年頃にSBIG社がオードガイダーST-4を販売。長時間露出、長焦点、ラージフォマット化の流れが加速していました。

私が直焦点を始める前の1980年代にはすでにモータードライブは主流になっていて、"眼視手動ガイド" から "モータードライブ+眼視手動補正" の時代になっていました。が、それでもST-4の登場までは辛い眼視補正作業は変わらず、ほとんどの人は数十分の露出が限界でした。私も天体写真撮影を始めたころは、あのビクセンのGA-4の十字線と睨めっこをしていました。

90年代後半はST-4の値段が下がってきて普及が進んできました。長焦点のガイドも苦ではなくなったので光学系は長焦点に、露光も長くなり、撮影光学系はガイド成功率の高い屈折にシフトしていきました。そして画質を求め35mm版からブローニ版へのシフトもこれもすごい勢いでした。各ショップはガイド関係のグッズや、天体写真専用のブローニ版のアストロカメラを挙って開発して販売していました。

そのような背景から、90年代後半の直焦点天体写真のハイレベルなアマチュアの定番と言えば、鏡筒は125SD-HF、赤道儀はNJP、行くとこまで行ってる人だとMS-5といった感じでした。勢いがあった時代なので、EM-200や、EM-200と望遠鏡を買う人はコンスタントに出ていました。しかし125SD-HFや、タカハシのNJP以上、ペンタックスのMS-4以上の赤道儀が売れる時はそれなりのインパクトを感じました。しかもそのクラスの望遠鏡と赤道儀のセットとなるとさすがに稀で、赤道儀だけの買い替えや、鏡筒の買い替えがほとんどでした。

そのクラスの機材を買うのは、30代独身層か、安定の40代半ば以降の子育て終了後のそれなりの企業勤めの方が中心でした。そんな中に直焦点をやる20代以下がいると目立ちました。結局4年アルバイトをした中で、インパクトの残った20代以下というと、後に盗作疑惑(年齢も詐称だったらしい)で話題になった人と、彼だけです。(盗作疑惑の人はどう見ても年下の高校生には見えませんでした)。また天文をやる人はそもそも必要のない趣味のものだし、硬い人?が多いためかローンを利用する比率は高くないのですがそれでも高額商品ではローンにする人の割合は23割はあったような気がします。

余談ですが、後の登場人物で、いつも60回ローン、先月もローン組んだのに、今月もまた60回ローン!?という人がいたのですが、後に友人になってから聞くと「そのほうが仕事のやる気が出る」というようなことを言っていたような気がします。確かに機材を買うためにに働いていると思えばやる気もでる時もあるかもかもなぁ。もちろん彼が逆に硬い仕事をやっているからこそ成せる技です。

そして、ある日、20代の目の鋭い体格のいいお兄さんが店を訪れました。

接客は私ではなく彼と地元同好会かなにかで面識のあった社員の方でした。彼は訪れたその日のうちに、MS-4125SD-HFを、しかも一括で買って帰っていきました。自分と齢はほとんど同じであることは大体見た目でわかりました。彼はストレートで社会人になってますから、今になってみると働き出して2年目くらいだったんだと思います。


なんだこの人は!?

という第一印象でした。これが彼との初めての出会いでした。彼と天体写真で遊ぶようになるまでになったのはもう少し後のことです。


(続きはまた。)

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