2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フォト
無料ブログはココログ

2018年6月23日 (土)

すばらしい天体写真仲間物語 (3)

思い出し、書き出し、それが書き終わってしまう時がくるのも怖いような気がして、
続きをなかなか書けずにいました。

引き続き、彼との楽しい思い出です。90年代末。


若い私に、彼(H氏)や、ほかにもすばらしい先輩方との出会いがあり、
青春時代を支えていただきました

(※写真は当時唯一のH氏との撮影風景。奥のピラーが彼のMS-4です。スマホ、デジカメもなかった当時は、スナップなどはほとんど撮っていません。男どうしですしね。)

Img_20180315_0001





===============

彼と直接つながる前に、一回り上の2人のMY氏とT氏、店をはじめたMR氏との出会いがありました。

MY
氏とT氏は、私がバイトしていた都内のお店のインパクトありすぎるお客さんでした。2人とも125SDPMS-5、その2人どうしが友人関係になる前からぞれぞれよくフォトコン入選していた。MY氏は前から都内勤務でしたがMY氏が都内に転勤してきて店で出会って意気投合していました。当時2人ともまだ30代の独身貴族でしたからお互いの家を通い合う仲?になっていました。MY氏は例のいつも60回ローンの人、都内に20年住んでいますが近所にコンビニがあるので冷蔵庫もない生活をしていました。が、登山部出身のT氏と出会いT氏が部屋で鍋を作ってくれたりするので、調理器具が増えたりしてきていたそうです。


あぁ話がそれましたね。でもこれが大事なつながりになるのです。

店でMYさんが話しかけてくれたことがあったんだと思います。MY氏は浄土平が主な撮影フィールドでした。たまには私が浄土平に行っていることを話して「じゃぁ」ということで携帯の番号でも教え合っていたのかもしれません。そしてまず浄土平でMY氏と一緒に撮影した記憶があります。またしばらくして、MY氏からT氏と千葉に出来たMR氏の面白い店に行くんだけど一緒に行ってみないか?と誘われ、T氏とも直接のお知り合いになれました。MR氏の店は当時最新のピクトロスタットデジタルを入れたり、アストロカメラ、オフアキシステムを生み出し始めていていました。

その頃はもう学生生活が長引いていたころでした。さて私のバイトですが、、当時その店は勢いがあるが故の問題も気になっていました。対応で、お客様第一と言えない部分も気になってきてしまい、発売する商品も元に戻せない2メーカーを組み合わせた"ニコイチ品"などがあってどうかな、と思い始めていました。バイトが5年いるとはどういうこと?となるのも気分的に嫌だなぁと思っていましたしそこで、一区切りとしてバイトは終わりにしました。


MR氏の店や、MY氏の部屋でMY氏やT氏の中に私も入れてもらえるようになりました。そしれ冬季は、里美牧場にMY氏とT氏は撮影に行っていたですが、遠征にも合流するようになりました。冬で寒いので撮影中によくT氏が鍋を作ってくれました(鍋の話でつながってきました)。私は若いので2時間露出の世界でしたから撮影中は余裕だったのです。私は大根おろし係だと、-10℃の中大根おろしをおろしていました。撮影中、テーブルの鍋を囲んで会話がよく盛り上がりました。そんな中、MY氏とT氏が「先月の新月は、彼(H)と一緒だったんだが、大根おろしを苦労していた」とか話を始めました。そして私は「あれ?H氏というのはあの、店で見た体格のいい若いお兄さんか?」と気づきました。MY氏から話から出てくる彼の機材を聞いて、同一人物であることを確信しました。


MY氏やT氏にも大変お世話になり、人生についていろいろ学ばせていただきました。しらびそ高原に初めて行くときに案内していただいたのもT氏でしたし、よくMR氏の家にも私一人でもお邪魔しました。本棚に私と同じく中島義道の本があるのに気づき、孤独?について話したことなんかもありましたっけ。


話を戻しましょう、彼も里美牧場やMR氏の店に良く行くようになっていたのです。私のバイトしていた店の問題から他の店に流れている人も少なからずいたようでした。

そして、後日MR氏の店にプリントに行って、初めて彼と直接出会ったのです。はじめは私が警戒?していたのと、彼は社会人で私がまだその時が学生、という負い目から、こちらが打ち解けることができませんでした。はじめの頃はMR氏も交え、彼を里美牧場で撮影するところから入ったと思います。だんだんと打ち解けてきました。そして、同じタイミングでT氏は転勤で東京を離れ、MY氏は腰痛で天体写真をやれなくなり、私らは大抵2人で遠征に出るようになっていました。


まだ若かった私たちがは新月毎というよりは連休時にどーんと遠征するスタイルでした。特にGWや盆休みは遠征地で3連泊とかを平気でこなしていました。しかも、不思議と20年前の晴天率は凄まじく3夜晴れることも普通にあったような気がします。今は、デジタルになった影響か分かりませんが、連泊は少なく1夜を大切にする撮り方をする人が多いのではないでしょうか。私も今はそうです。

3夜も連泊する時代は、遠征の時間は贅沢でした。そして私たちはガツガツ撮るタイプではなかったのです。3連泊前提ですから、到着した翌日は確実に現場で寝るわけです。するとどうなるでしょう、まず遠征地に着くと「長い運転お疲れ~」で、クーラーボックスからスーパードライ500ml缶が出てきてプシュッと。H氏は職場から直行で来てスーツ姿で到着ということも多くありました。マジでお疲れ~!です。1杯やって調子が出てから機材を組み立てはじめ、また機材が組み上げ終わると「建前」だと2本目です。H氏は酒が強いからよいのですが、それに付き合う私は弱いので満点の夜空の元で寝てしまい、H氏はその時間で入選作を撮っていて、さらに隣にいたMR氏が表紙入選作を撮っていた、なんて事件もありました。

昼間は特になにをするでもなくダラダラ過ごし、昼飯は浄土平ではソースかつ丼、里美ではジンギスカンなど食にも抜かりはありませんでした。そのころの遠征地は他の人も多く賑やかでした。みんな大型機材で2連泊くらいは当たり前。MR氏の店を通じて顔見知りの方も多く、楽しい日々を過ごしました。

さて、撮影の方は特に真面目にやっていたわけではなかったのですが、抑えるところを抑えていたからなのか、フィルムが大らかだったからなのか、一度遠征すればH氏は3作とか入選作をたたき出し2誌3か月連続入選とかしていました。4,5千円の入選賞金を6本とかたたき出していたので、彼は遠征がペイして黒字になったとか言っていました。私も1作くらいは試しに送り、入選を少しずつ繰り返していました。楽しくフォトコンをやっていました。


遠征から帰った次の休日は次の“お祭り”の「現像」「プリント」です。フィルム時代は主にポジで撮っていましたから現像はプロラボ任せ。よくフジ系の「クリエイト」に出していました。現像終了までは2時間かかりますから、ヨドバシとかで暇のつぶせる新宿に2人で集合しました。(今日は勇気を出して言います)でも彼は何度か30分遅刻してきました。なぜでしょうか!?新宿駅の北方面にいろんなところがありますね。はいったところがアタリだったのでつい“延長”したら遅刻しちゃった!と言っていました。クリエイトに出し、現像上がりまではマップカメラで中古カメラを見たり、ヨドバシで買い物したり、飯を食べたりしていました。そしてクリエイトで現像が上がり店内のライトボックスで、「よしゃ~」「あちゃー」とつぶやいたあと、MR氏の店へプリントへ出発です。

MR氏の店には天体写真に熱中するいろんな人が集まってました、プリント終わってもお菓子を食べながら、翌日仕事であってもみなさん午前2時とかまでたむろっていました。話は天体写真ばかりでなく、いろいろでした。MR氏はよく付き合っていただいたなと思いました。場と楽しい機材とアドバイスをいただけたことに感謝です。またMR氏のお店で、これまた一回り先輩のK氏と出会い、店や遠征先で天体写真以外のことも教えていただきました。店で出前をとって夕食にしたり、遠征以外の週末も楽しい日々を過ごしました。



彼とは遠征や、天候が悪くて浄土平に上がれず2人で檜原湖でキャンプしたり、街では喫茶店や中古カメラ巡りしたり、濃い数年間でした。

とても、とても楽しいフィルム天体写真生活を繰り返しました。



そして3年繰り返すうちに、先輩のK氏も海外出向で日本を離れ、彼は仕事が忙しくなり撮影をきっぱり止め機材を手放してしました。私も社会人になりました。

彼とは長い休眠期間となりました。



私は一人になりかけましたが、この3年の間に、浄土平を通じて知り合いになった方々と次の約15年を過ごしました。



また、今の私があるのはこの3年間、もちろんH氏を含め、たくさんの先輩方との出会いが支えになったのと、学ばせていいただいたことがあってです。ちゃんとお礼をお伝えしたことがありませんでした。

この場を借りて、お礼を申し上げます。感謝しております。本当にありがとうございました。

 

 

 

2018/04/21 天城高原遠征   今年初の遠征 (2)

Img_7772s


ごめんなさい。いろいろ忙しくブログ放置でした。
4月遠征ですが、私の好きな雰囲気の星景、置いておきます。

ちょっとまだ処理が下手なんで、色合いとかは気に入らないです。

2018年5月10日 (木)

2018/04/21 天城高原遠征   今年初の遠征

所用と天気の掛け算で1~3月は遠征に出られませんでした。4月は新月の週末もダメでしたが、月も太った21日、今年初遠征になんとか言ってきました。

南天を撮りたいのと、皆さんが集まりそうだということで遠征地は天城をセレクト。

月は23時まで残りますからのんびりセッティング、みなさんと雑談、HHさんの思い出話でも盛り上がりました。twitter繋がりでの学生さんともオフラインでお話しできました。

賑やかでとても楽しい遠征でした。

撮影対象は、アンタレス付近と、出目金星雲。

今回からダークも取得し、画像処理にも本腰入れようとしたことで、画像処理にてこずってます。とりあえず、初めてマスクワークを使って出てきた画像を貼っておきます。

今日のところ、アンタレス付近。

New3


TAKAHASHI FS-60CB(+Reducer) 250mm F4 + CooledEOS6D ISO1600 7min x 16comp. = 112min
TAKAHASHI EM-200TEMMA2Jr + QHY 5LII + PENTAX105SDP 515mm F4.
2018/04/22  Shizuoka-Pref

マスクの効果を自覚しやすいように大袈裟処理したら、
黒潰れとコントラストと彩度上げすぎちゃったのでまたやり直します。

2018年4月16日 (月)

すばらしい天体写真仲間物語 (2)

引き続き、彼との楽しい思い出です。

90年代の天体写真界の懐かしい周辺の話題も思い出しています。


========


1990
年代の後半から2000年代の入り口は、フィルム天体写真の黄金期、絶頂を迎えていました。天文イベントとしては、ヘールボップ彗星や百武彗星の2つの彗星と、ダストトレイル理論で予報精度があがり2度楽しめた、しし座流星群の盛り上がりが。

天体写真では1992年頃にSBIG社がオードガイダーST-4を販売。長時間露出、長焦点、ラージフォマット化の流れが加速していました。

私が直焦点を始める前の1980年代にはすでにモータードライブは主流になっていて、"眼視手動ガイド" から "モータードライブ+眼視手動補正" の時代になっていました。が、それでもST-4の登場までは辛い眼視補正作業は変わらず、ほとんどの人は数十分の露出が限界でした。私も天体写真撮影を始めたころは、あのビクセンのGA-4の十字線と睨めっこをしていました。

90年代後半はST-4の値段が下がってきて普及が進んできました。長焦点のガイドも苦ではなくなったので光学系は長焦点に、露光も長くなり、撮影光学系はガイド成功率の高い屈折にシフトしていきました。そして画質を求め35mm版からブローニ版へのシフトもこれもすごい勢いでした。各ショップはガイド関係のグッズや、天体写真専用のブローニ版のアストロカメラを挙って開発して販売していました。

そのような背景から、90年代後半の直焦点天体写真のハイレベルなアマチュアの定番と言えば、鏡筒は125SD-HF、赤道儀はNJP、行くとこまで行ってる人だとMS-5といった感じでした。勢いがあった時代なので、EM-200や、EM-200と望遠鏡を買う人はコンスタントに出ていました。しかし125SD-HFや、タカハシのNJP以上、ペンタックスのMS-4以上の赤道儀が売れる時はそれなりのインパクトを感じました。しかもそのクラスの望遠鏡と赤道儀のセットとなるとさすがに稀で、赤道儀だけの買い替えや、鏡筒の買い替えがほとんどでした。

そのクラスの機材を買うのは、30代独身層か、安定の40代半ば以降の子育て終了後のそれなりの企業勤めの方が中心でした。そんな中に直焦点をやる20代以下がいると目立ちました。結局4年アルバイトをした中で、インパクトの残った20代以下というと、後に盗作疑惑(年齢も詐称だったらしい)で話題になった人と、彼だけです。(盗作疑惑の人はどう見ても年下の高校生には見えませんでした)。また天文をやる人はそもそも必要のない趣味のものだし、硬い人?が多いためかローンを利用する比率は高くないのですがそれでも高額商品ではローンにする人の割合は23割はあったような気がします。

余談ですが、後の登場人物で、いつも60回ローン、先月もローン組んだのに、今月もまた60回ローン!?という人がいたのですが、後に友人になってから聞くと「そのほうが仕事のやる気が出る」というようなことを言っていたような気がします。確かに機材を買うためにに働いていると思えばやる気もでる時もあるかもかもなぁ。もちろん彼が逆に硬い仕事をやっているからこそ成せる技です。

そして、ある日、20代の目の鋭い体格のいいお兄さんが店を訪れました。

接客は私ではなく彼と地元同好会かなにかで面識のあった社員の方でした。彼は訪れたその日のうちに、MS-4125SD-HFを、しかも一括で買って帰っていきました。自分と齢はほとんど同じであることは大体見た目でわかりました。彼はストレートで社会人になってますから、今になってみると働き出して2年目くらいだったんだと思います。


なんだこの人は!?

という第一印象でした。これが彼との初めての出会いでした。彼と天体写真で遊ぶようになるまでになったのはもう少し後のことです。


(続きはまた。)

2018年3月28日 (水)

追悼 HH(酒力)さん すばらしい天体写真仲間物語

Img_1229_2

先日、これまでの人生の中で最も悲しい報に触れました。

2月、このブログでもリンクしています私の親友のHH氏(平田さん)が、急逝されました。
私の1つ上、まだ40代前半でした。


彼とは二十歳過ぎの1998年ころに出会い、20年来の付き合いでした。お互い、仕事やらでブランクがありましたが3年前に再会を果たし、この3年はまた活発にやり取りし、時折遠征に一緒に出かけていました。これからはのんびり、あと30年くらい一緒に天文を楽しめるかな、と思っていたところ、考えてもみたこともかった悲しい出来事となりました。

お互い昨年夏過ぎからお互いのタイミングが合わず、最後に会ったのは昨年20178月の浄土平への遠征でした。彼にとっての15年ぶりの浄土平遠征に合流したのが最後になってしまいました。しかし、そこは最も彼との思い出が濃く詰まったところでした。その遠征後も1週間も空かず、LINEやらTwitterでは繋がっていて天体写真談義やら、お互い別に遠征に行っているときは冷やかしやらは続いていました。しかし、ふと223日を最後に音信がないことに3月に入って気づきました。しかし彼は教師であったため次に遠征にいけるのは4月かな?などど話あっていました。そのため、ちょうど忙しい季節だから、あまり連絡をとっても邪魔かな?3月末になればまた出てくるだろう、と思っていました。

そんな矢先、彼の弟様が天体写真関係の繋がりへのコンタクトを試みられてくださっていたため、天体写真繋がりで私のところへもメールで訃報が届いていたのです。私も多忙でメール受信の頻度が低くなっていたため、314日になって私はその報を受け取ることとなりました。


224日に彼は旅立ったそうです。


彼には申し訳ありませんが、もし、直後に訃報をいただけていたとしても正気を保ち、彼のもとへすぐに行くことができたかというと、その自信はありません。会えなかったのは残念ではありますが、これでよかったのかもしれないと思っています。

この歳ですから、もちろん、もう死に触れるのは初めてではありません。しかし、親族の死でもいわば"順番"は崩れておらず覚悟ができていたためか、こんなに泣いたことはありませんでした、、。

私としては幸いに感じたのが、最後の会話が回鍋肉についてだったことと、亡くなる前夜の最後のツイートが望遠鏡の物色だったことです。多分そのまま、天国で食べたたり、望遠鏡をどれ買おうか、画像処理がめんどくさいとか、その観測地に行こうか、とか今も思っていそうに思えます。

彼は私の齢とほぼ同じの、外から見れば友人ではありますが、私にとっては先輩であり、心の支えの人でもありました。とてもスケールの大きな、おおらかな人でした。しかし繊細な部分もあり、彼の風景写真や星景写真の中で、彼の「心象」をうかがうことができます。



落ち込み、天文をやる気も失いかけました。


しかし、この3年、彼が引っ張りだしてくれたおかげで、3年前までは20年前の仲間のほとんどが天文から引退してしまい、ほぼ一人で天文をやっていたところ、繋がりが増えました。この新しいつながりを大切にし、彼のことも思いつづけながら星と関わりたいですし、彼もそれを喜ぶでしょうから、今後も「素晴らしき哉天文人生」の続編を展開していきたいと思います。


彼は文才もあります。彼に見倣い、また彼へのお礼も込めて、続編のまえにこれまでの「物語」を書き出そうと思いました。

彼へのお礼を書くには、私のこれまでも書かないと伝わりません。

勇気を出してそこを書き、また関係登場人物?も既に時効になってきていますので、彼との出会いの前から彼との別れまでを「物語」に記そうと思います、、、、。

すこしづつ、書いていきます。


===========


彼と出会ったのはいつだったのかは実は正確には覚えていません。

いつのまにか意気投合し、いつのまにか一緒に遠征していました。遠征するのみでなく、街でも面白可笑しく過ごしました。20年の付き合いでしたが、彼も私も仕事の都合で音信のない期間が間に14年ばかりありました。この14年の間は私の結婚の報告で1度偶然会っただけ。前半に3年ほど、そしてこれからは長くなりそうだと思った再会後は3年ほどでまさかのことになってしまいました。それでも14年の隙間を感じない濃い思い出が詰まっています。

亡くなってからご親族からおうかがいして知ったことですが、彼も私も天文に興味をもったきっかけは1986年のハレー彗星の接近でした。私の場合は父がミーハーな人だったのでハレー彗星ブームに乗り望遠鏡を買い、観測に連れ出されました。また父がカメラ趣味も元々あったため、撮影もトライしていました。私にとってはそれが天文や天体写真への興味のきっかけです。

中学は陸上の部活やら受験やらで普通の中学生らしく特に天文とは深いつながりは持たずに過ごしました。高校へ進み運動程度の部活をやりたかったのですが、陸上部がインターハイに出るレベルで私はそこまで求めていませんでした。県立高校ではあったのですが、旧制中学からの歴史ある高校なので地学部があり、活動も比較的活発でした。そこで地学部に入ったことが天文に深く入り込むきっかけとなりました。実際は地学部以外のことにのめりこんではいたものの、地学部の1年時の夏合宿の入笠山で見た天の川、ペルセウス座流星群、、、。それに感動して2年目はそれまでのお年玉を全てつぎ込んで型落ちのP-2S赤道儀と75ED-HFを買い、入笠山でM31を直焦点撮影しています。3年は乗鞍まで夏合宿に行きました。この高校生活がその後の私の天文の原点です。


さて、彼との初めての出会いは、たぶん、1998年ころのアルバイト中のことだったと記憶しています。


私は大学入学でやはり天文研究会に入りました。私の代近く以降からは、"天文" という軸ではあまり高校ほど質の高くない天文研究会ではありましたが、私の頃はまだ星はともかく見ていました。入学してすぐ天文研究会の院生の方の紹介で、今はない都内の天文ショップでのアルバイトを始めました。この店が出会いの場所であったはずです。

彼と私は年齢は1つしか離れてませんでした。しかし社会人デビューは目標に向かって真っすぐの彼の方が5年早かったはず。というのも私は "事情" があっての迷いから、大学生活の途中で大学を休んでいるのでその分だけ年の差以上の差があったのです。彼との第一章の思い出は、この休みを終えた大学生活の後半のことでした。

アルバイトでは、通販の電話受けや、梱包発送、店舗の接客はもちろん、お金に直接かかわらないメーカーへの発注などの事務作業もやっていました。かなりの社会勉強をさせていただきました。そして当時写真撮影志向の強い店であったので天体写真についての知識も最新のものが得ることができました。お客様との出会いもありました。もちろん、撮ることを我慢することができず、実家通いだったこともあって頂いたバイト代はそのまま望遠鏡やら撮影機材へと消えていました、、、。バイトの最後の頃はかなりのアドバイス能力となっていました。

天文界の景気とその店の勢いが良かったので休日には店頭でかなりの高額セットもコンスタントに売れたのですが、やはりそれなりにインパクトのある売れ方のものは今でも1つ1つ自分の接客でなかったものであっても覚えています。


そしてバイトの4年目にその日は訪れました。


彼との楽しい第一章のはじまりです。

2018年2月 1日 (木)

皆既月食

予報が外れ、諦めていたはずが、見えちゃいました。
予報も悪かったのですが、インフルが家族に出ていて、望遠鏡をのんびり出していたらヒンシュクかいそうで。

とりあえず200mmのカメラレンズの三脚固定で収めておきました。

Img_7613

2018年1月30日 (火)

ノイズ、および ノイズ処理の実験 (再入門)

今更なのですが、面倒だし撮影時の時間がもったいない気がして、
私はダークは撮らず(すなわち引かず)ノイズ処理としては
コンポジットとディザ合成のみとしてきました。

最近になって
HH氏の画像を見て、果たして私はこのままでいいのか?
(若干マンネリしてきて)写真の質を上げるのに近道はどこか?(基本手抜き!)
といった考えがフツフツ湧いてきました。


今月は遠征に行けなかったし、今も身近でインフルエンザが蔓延していて
遠征どころかスキーとかで息抜きもできないので、実験で憂さ晴らしをしました。

自宅の夜の室内で6Dにカメラレンズを付け、明るさは絞りで決め込み、
そこそこの天体写真級の露出時間にしてサンプル画像を取得。

*ISO設定の”美味しいところ”の再確認、
*ディザ合成の効果の再確認、
*ホントのところどの程度のダークが満足できるのか?

を実験から見てみることに。


趣味ブログなので細かい意図説明は手抜きさせていただきますが、
ライトフレームの総露出は揃えて実験。

特にによく、
「ダークはライトフレームと同じ枚数かそれ以上」と言われていて、
「そんなにやってられっか!時間勿体ない!」と思っているので
ダークはn=1から作ったものと、ライトフレームのn=8と同じくn=8にしたもの
を仕込んだりしています。ダーク取得にかけている時間はその分だけ
異なることになります。

Photo_3


さて、この実験の私的な感想は、
*わりとダーク枚数は少なくてもディザリングをやれば奮闘する。
*ディザ合成はやっぱり圧倒的な時間効率の良い。
*6Dの場合、ISO1600と3200は、コンポすると3200の方がよく見える。
となりました。

n=1のダークだろうと、ディサ合成を組み合わせればn=8のダークと同じくらい
イケるような結論を得たので、ダークはこれから引いてみようかと気持ちが
傾いています。

2017年12月29日 (金)

2017/12/22 朝霧高原遠征   M41

これは直焦点ではなく、カメラレンズとスカイメモSです。
このレンズ、APS-Cでテレ側で星が流れて写るのでダメだこりゃとレッテルを貼っていたのでうsが、フルサイズで拡大倍率下がれば何とかなるのではと思って今回撮りました。

M41
やっぱり流れてしまいましたが、たまに撮るなら良いでしょう。

Canon EF70-200F4L  + CooledEOS6D ISO1600
30secmin X 4comp. = 2min
TAKAHASHI EM-200TEMMA2Jr + QHY 5LII + Off-axis guider
2017/12/23    Shizuoka-Pref. JAPAN

すごい量産体制でした。

さて、今年の遠征はこれで終わりです。遠征には5回でました。
来年こそ天候が良い1年になってほしいものです。

来年は露出をFS-60CBで3時間超えで狙います。

今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

2017/12/22 朝霧高原遠征   M64黒眼星雲

冬の大三角も沈み始め、短焦点でつらくとも春の銀河を撮るしかありません。
M81とかメジャーどころは撮ってあるので、小さいものを狙いました。

M64_sdpf5_c08m00_64min_20171222ag_2

黒眼は何とか伝わりますね。

PENTAX105SDP 515mm F4.9  + CooledEOS6D ISO1600
8min X 8comp. = 64min
TAKAHASHI EM-200TEMMA2Jr + QHY 5LII + Off-axis guider
2017/12/23    Shizuoka-Pref. JAPAN

2017/12/22 朝霧高原遠征   M46、47

早いもので、もう夜半過ぎは冬の大三角も傾き、撮影はつらくなります。
そこで低空ても何とかなる、散開星雲の出番。

M46m47_sdpf5_c04m00_24min_20171222a

大好きな散開星団です。対比がなんだかかわいく感じるのです。

PENTAX105SDP 515mm F4.9  + CooledEOS6D ISO1600
6min X 4comp. = 24min
TAKAHASHI EM-200TEMMA2Jr + QHY 5LII + Off-axis guider
2017/12/23    Shizuoka-Pref. JAPAN

«2017/12/22 朝霧高原遠征   ばら星雲